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安田雅弘演出ノート

狭夜衣鴛鴦剣翅/2003.1

安田雅弘(2003.1)

山の手事情社が和モノの古典に挑戦するのは、『平成・近松・反魂香』(原作:近松門左衛門)、『平成・円朝・牡丹燈籠』(原作:三遊亭円朝)に続いて、これで三本目です。前二作とちがう点は、登場人物がみな武士階級に属していることです。彼らはとても厳格な「美学」のもとに生きていくことを運命づけられています。ことばや行動一つ一つに命がかかっている感じがします。共感できる部分もありますが、現代の私たちからすると、理解に苦しむ部分も少なくありません。

厳格な「美学」という点で、私がイメージしたのは、いま世界をさわがせている、イスラム原理主義の人たち(ひとくくりにするのは乱暴かもしれませんが…)です。ニュースで、ある大使館の自爆テロに向かう少女たちのビデオを見ました。「これで殉教者になれます」「私たちはアラーとともにあります」とインタビューに答える、悲しみとも喜びともつかない彼女たちの表情が記憶にのこりました。ハンドルを握り、爆弾を満載した大型トラックが動きだしたところで映像は終了します。

今回、つくっていて感じることは、「美学」が求められる生き方、つまり「正義」が強く明快な社会は、随分と窮屈だということです。太平洋戦争の敗戦や学生運動をへて、いまの日本人は「正義」の持つこの窮屈さを生理的に嫌っているように思われます。アメリカのふりかざす「正義」にもいかがわしさを感じます。しかし、一時的であるにせよ、「正義」が人間を力強くすることもまた事実です。いまの日本に元気がないことは、ふりかざす「正義」がないことと無縁ではないでしょう。

けれども、日本人は歴史的に「正義」と無関係ではありませんでした。少なくとも二百五十年前には、舞台の上とはいえ、こういう人たちが存在できたことに強い興味を感じます。人間は状況によってどのようにでもなりうる存在だ、というさめた視線はうしないたくないと思います。

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