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コラム

安田雅弘演出ノート

道成寺[二本立て公演]/2011.12

安田雅弘(2011.12)

「道成寺」と 3.11

 2004年、「道成寺」を作ろうと思い立ち、和歌山県の道成寺に参詣し、一通り資料にあたりました。私にとって、この話は、ほとんどなじみのないものでした。調べてみるとどうやら長い事、ずいぶんと広い範囲に渡って、日本人の心に住み着いてきた物語であることがわかりました。演劇にたずさわる者としては、不勉強を大いに恥じなければなりません。しかしまた同時に、大方の現代人にとっては、すでに縁のない話になりつつあるという実感もぬぐいがたくあります。

 道成寺伝説の元となる文献は平安時代の「大日本法華経験記」にさかのぼります。その後成立した「今昔物語集」にもほぼ同じ記述があり、今回の舞台の一場面になっています。室町時代に「道成寺縁起絵巻」ができます。その後の能楽や歌舞伎の作品に発展する「安珍清姫伝説」が絵で表現され、また道成寺創立の伝説として「かみなが姫伝説」も描かれています。舞台ではキャスリーヌが説明しています。民俗芸能に山伏神楽「金巻」があり、今も残る黒川能に「鐘巻」があります。それらを原作として能の「道成寺」ができました。能「道成寺」は一人前の能楽師となる資格試験ともいえる重要な曲です。
 能がもとになって歌舞伎や文楽でも数多くの道成寺ものが作られます。「傾城反魂香」の作者近松門左衛門も「用明天皇職人鑑」を書きました。歌舞伎では18世紀中盤に初代中村富十郎が「京鹿子娘道成寺」を初演して以来、道成寺ものの代表作品になりました。女形舞踊の芸づくしで、派手な美しい舞台です。「聞いたか坊主」はここから取っています。文楽では「日高川入相花王」という作品が有名です。若い娘の顔が瞬時に鬼のようになる「ガブ」という首(かしら)はご覧になったことがあるかもしれません。

 「道成寺」という作品は日本人にとって、もうそれだけで、芸能ばかりでなく文学や絵画も含めた、巨大な文化的地層であるという印象を持ちます。文字に記される前に、各地で似たような話は語り継がれていたでしょうし、人気芸能となってからは、それがさらに広がり堆積しました。ならば難しく考えることはない。私が最も疑問に思うこと、すなわち先祖たちがどうしてこの物語を愛したのか、またどれほど愛してきたのか、それに迫ることがもっとも現代的なアプローチであるように思えました。

 1912年に築地の自由劇場で初演された郡虎彦の「清姫」の台本は、インスピレーションに満ちたものでした。歌舞伎など伝統芸能のきらびやかな美しさの背後にある不気味な情念を、緻密に暗鬱に描いていて、おそらくこういう根っこが、つまり女性たちの果たされなかったさまざまな黒い想いがなければ、「道成寺」はとうていここまで愛されることはなかっただろうと納得できる作品でした。この「清姫」を軸として、いろいろな材料を盛り込んだレビューを作ろう、そんな気持ちになったのをおぼえています。
 「道成寺」の背景は満開の桜です。その満開の桜の中、能や歌舞伎では白拍子が新しい鐘を落とします。白拍子は清姫の幽霊で、安珍を隠した鐘が恨めしいのです。山の手事情社では、その設定を少し変えました。満開の桜、それは変わりませんが、咲いているのは黒い桜です。なぜなら桜は女性の暗い情念の象徴だからです。また日本人が桜を愛するのは、桜の色が実は闇の色だと無意識に感じているからではないか、と私がひそかに疑っているからでもあります。満開の桜を見ると立ち止まり、酒が飲みたくなるのは、別世界へいざなわれるからでしょう。清姫は鐘を鳴らしてはいけないと思っています。鳴らせば桜は散ってしまう。そしてそれは世界の終わりを意味しているのです。

 郡虎彦「清姫」の中で、僧たちは自分たちのいる場所がどこかおかしい、狂っていると実感していながら、結局はそこから抜け出せず、最後には滅びます。ことさら3.11に関連づける必要はないのかもしれませんが、私にはこの僧たちが、原発に限らず、生活を取り巻くいろいろな物事を、どこかおかしいと感じていながら現状を抜け出せないでいる人間、すなわち私たちそのもののように思えます。どうすることもできない自らの愚かさを指摘されているようで、しびれます。
また、さまざまな「道成寺」に描かれている女性たちを「母なる自然」と考えるならば、男性社会が築いてきた文明をあざ笑うかのように起こる巨大な自然災害の姿は、「道成寺」の蛇なのではないかと考えたりもします。人間存在のはかなさを指摘されているようで、こちらもしびれます。
 すぐれた古典にはそういう力があるのです。

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