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安田雅弘演出ノート

傾城反魂香[YAMANOTE NIPPON]/2007.10

安田雅弘(2007.10)

奇跡の中に生きること ~「傾城反魂香」について~

 作中、私たちはいくつかの奇跡を目にすることになる。
 冒頭、みやが雅楽之助に松をかたどらせ、元信がそれを描くと、武隈(たけくま)の松そっくりの絵ができあがる。次いで、とらわれた元信が自身の肩をくいやぶり、口にふくんだ血で描いた猛虎はふすまを飛び出し、彼を救い出す。その虎に田畑をふみ荒らされ、困っている百姓の話を聞き、修理之介と名乗っていた土佐光澄(みつずみ)が空中で筆を動かすと、猛虎は姿を消す。一方、土佐又平光起(みつおき)が手水鉢(ちょうずばち)に自画像を描くと、それは裏面に透け、さらに彼が家で描いていた大津絵は、踏み込んできた侍たちを驚かし、退散させる。しかし、なんといっても最大の奇跡は、「反魂香」という題名になっているように、死んだみやが元信に嫁いでくるというものだ。
 この最後の奇跡は一見、異質に感じられる。というのも、それ以外は、すべて画家がその高度な技術によってひき起こしたものだからである。しかし、みやの強い慕情をあらわしているかに見えるこの奇跡は、元信に熊野絵を描かせるためだったと考えることもできる。元信の絵の中で熊野詣をすること――すなわち愛する人の傑作の中に生きることこそ、みやの最終的な願いであったのかもしれない。元信の視点に立てば、絵画表現こそ彼の人生のすべてであり、他のこと、女性関係も含めた現実的なあれこれは副次的なものにすぎなかった。この奇跡を通じて彼は、それまで二次的と軽視しがちだった現実社会を、この場合はみやの思いを、高い技法とともにふすまに描きこむことができるようになったのである。そもそもみやが、遊女に身を落とす原因が、父の絵師としてのプライドにあったことを思うと、この作品は絵画を通じて芸術の持つ力を描いているといっていいだろう。
 たしかに絵は奇跡を起こす。レンブラントとゴッホという、生涯においてはむくわれることの少なかった二人の画家が、現在では私たちのオランダという地域にいだくイメージを形成する上で、また絵画史や観光資源の上でも、大きな影響力を持っていることを例に引くまでもない。人間は芸術によって時代や地域を記憶する生き物なのである。
 上記のほかに、元信がみやと出会ったこと、同じく元信が名古屋山三と知り合ったことから、六角家のお家騒動に巻き込まれること、その過程で銀杏の前と祝言をあげてしまうこと、舞鶴屋でみやと再会を果たすことなど、このはなしの中で起こる奇跡のような偶然は枚挙にいとまがない。一見、私たちの常識では考えられないできごとが語られている作品のように見える。しかしもしかすると、近松がほんとうに描きたかったのは、私たちの住んでいるこの世が、実は奇跡に満ちているということではなかったのかと思えてくるのである。

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