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安田雅弘演出ノート

道成寺[YAMANOTE NIPPON]/2007.10

安田雅弘(2007.10)

「道成寺」について

 昼間の桜は、はかなく華やかだが、どこかのんきで落ち着いている。一方、夜桜は充実した妖しさで油断がない。それは、夜の闇に花の色が映えるからでも、輪郭がはっきりするからでもない。闇に色があるとしたら、日本人にとって、それは桜色であることが、沁み入るように了解されるからである。
 「道成寺」と聞いて、私の心に広がる風景は満開の桜だ。ひとひらも散っていない花びらは黒く咲き誇っている。恐怖、憤怒、嫉妬、淫欲…日本人が宿してきた暗い情念が、つぼみとなり、花開いたのである。
 道成寺伝説には三つある。かみなが姫の「黒髪縁起」、安珍清姫の「鐘巻縁起」、白拍子が出てくる「鐘供養」。謡曲『道成寺』、歌舞伎『京鹿子娘道成寺』は「鐘供養」が題材で、一般の「道成寺」イメージを形成している。主人公の白拍子は新しい鐘を引き落とす。かつての恋人安珍が隠れていた鐘(といっても作り直したものだが)を見て、清姫の怨霊である白拍子は恨みを再燃させるのだ。
 私の心象風景の白拍子も鐘を引き落とすものの、その理由は少々異なっている。鐘に鳴ってほしくないのだ。鐘が響けば、花は散ってしまう。黒い満開の桜を散らしてはいけない。
 すなわち私の「道成寺」は黒い桜の「花見」である。次々と満開の花があらわれるように、黒い桜を咲かせる舞台にしたいと思った。「道成寺」は、大半の日本人にとっては、もはや昔の、縁のないものになりつつある。けれども「花見」が私たちにとって古びていないように、現代の「道成寺」もどこかにあるに違いない。

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