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安田雅弘演出ノート

ダイバー/2015.3

若葉マークのダイバーたち/安田雅弘(監修)

 あまり知られていないが「俳優」とは、実は「潜る」仕事である。そう、ダイブする。
 一般に、俳優は台本のセリフとト書きから、「役」の性格や外見を造形する。自分じゃない人間になるのだ。頭をフル回転し、考えをめぐらさねばならない。
 たとえばその役の思考傾向を推理する。平気で他人に責任を押しつける独善的な人物だな、とか、回りくどい言い方が多いのは自信のなさゆえかしら、という具合に。人格の内部論理に迫る。
 行動傾向も同様。計算ずくで泣くタイプだろ、とか、思いどおりにならないとモノに当たる奴では、というふうに。
 そのような思考・行動傾向にもとづき、そうした人物が棲みつくことのできる身体を探す。例をあげると、いらいらした時、その人はどういう呼吸になり、どんな声を出すのかを探る。貧乏ゆすりするのか、歩きまわるのか、爪をかむのか…。貧乏ゆすり一つでも、さまざまに考えられ、選択肢は無限だ。
 どこで探すのか。自分の身体の中で、である。
 俳優は、自分の身体の中に潜って「役」を探索する。もちろん簡単ではない。が、これがまともな俳優の役作りの作法で、日本ではまともな俳優が極端に少ない。才能の問題ではなく、演劇教育がないからである。
 さて、ダイブの何が難しいか。ダイブには海が必要で、この海を「環境整備」し、潜り慣れておかないと正確かつ迅速に狙いをつけた海域、すなわち「役」にたどりつくことはできない。
 「環境整備」とは何か。自分を知ること。これに尽きる。
 「自分のことはわかっている」というのが、有史以来人類が拭い去ることのできない悲しい勘違いである。古典戯曲の名作のテーマは全てこれだと言っていい。本当に自分のことわかってる?
 「ごはん一口何回噛んで呑みこむ?」「お風呂にどちらの脚から入る?」「最近声をあげて笑ったのは何?」…この辺りなら、少し観察すれば把握できる。「自分にはどういう状況で怒る傾向があるか?」「怒ると身体にどんなクセが出て来るか?」…ここまでくると、専門的な訓練が必要になる。それが俳優教育であり、《演劇的教養》と呼ばれるものの一端だ。
 くり返すが、わが国には演劇教育がほぼ皆無なので、研修生は山の手事情社に入って初めてこうした課題に触れる。一年間でできることはせいぜい小学生程度。できないんだ! と自覚して修了公演を迎える。
 海に入ってもめざす海域ははるか遠くだろう。たどりつくことは望むべくもないが、そもそも方角さえわからない。それでも構わない。潜れ。飛びこめ。キミらはすでに知っている。潜る価値のある海が自分の中に眠っていることを。そして飛びこむ思い切りが自分の中に芽生え始めていることを。

 研修生の今後にご期待ください。

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