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コラム

安田雅弘演出ノート

女殺油地獄/2015.11

油地獄とは/安田雅弘

 「おんなごろし あぶらじごく」と読んでいた。正しくは「おんなころし あぶらのじごく」と呼ぶようだ。

 1721年に人形浄瑠璃で初演され、歌舞伎にもなったが、評判がよくなかったのか、その後上演はとだえる。当時の油組合が作品を気にいらず、出資をしぶり、劇場が資金難に陥った、というような話も聞くが、ならば別の店でいいような気もする。劇中で話題になる「酒屋」に趣向を変えても、「呉服屋」でも「紙屋」でも「八百屋」でも。もっとも、どこに変えようと、それぞれの組合が割りこんで、らちがあかなかったかもしれない。

 しかしそうではなく、近松にとってこの作品は「油屋」でなければ、というこだわりがあったと想像してみる方が楽しい。「酒地獄」や「野菜地獄」では芝居にならない、「油地獄」でなければ。

 舞台は江戸時代の大阪、人びとが野崎観音に詣でる「野崎参り」からはじまる。油屋の次男・河内屋与兵衛は懇意の、豊島屋という同じ油屋の主婦であるお吉と遭遇する。与兵衛は遊女たちにソデにされて不機嫌だ。その与兵衛をつかまえて、お吉は商売に精を出しなさいとやさしく諭す。
 次の場面は与兵衛の実家、油屋の河内屋である。ここでも家族の心配をよそに、与兵衛はつまらぬウソや仕掛けで金や店を自分のものにしようとたくらんだあげく、露見してついに勘当されてしまう。
 数日後、金に困った与兵衛は豊島屋にお吉を訪ね、金の催促をし、断られた結果、殺人が起こるのである。

 なぜ殺したのか、殺されたのか。
 それがこの作品のキモになる。歌舞伎や文楽は、与兵衛の性悪説を採る。生来の「ワル」が、旦那の留守にお吉を手にかける。それゆえ歌舞伎で顕著なように、与兵衛は水もしたたる二枚目が扮し、悪人の魅力をふりまき、油にまみれた2人のエロティックなシーン(文楽の場合、人間ではとうてい不可能な距離をスリップする)でクライマックスをむかえ、死んだお吉を置いて与兵衛が逃げるところで幕をとじる。その一方で、他の登場人物たちは、ほぼ善人に描かれている。

 それにしてもこの与兵衛、失敗続きである。ことごとくうまく行かない。「野崎参り」一つとっても、遊女に振られ、喧嘩のすえ侍に泥をかけてお手打ち寸前、伯父に叱られ、さらにはお吉の夫にまで呆れられる。
 こんな人間がはたして「ワル」であろうか。そしてそんな人間が善人だらけの環境から生れるものだろうか。今回私たちが製作の出発点としたのは、そんな疑問である。

 与兵衛は「ワル」ではない。「ダメ」なのである。そう、「滑りっぱなし」の人生なのだ。油地獄とは、与兵衛とお吉が豊島屋の油にまみれながら、殺し殺される場面を指すばかりではない。むしろ与兵衛の日常を、あるいは与兵衛を取り巻く人々の日常を象徴する言葉なのだ。近松が「油屋」にこだわったのは(私の想像だが)、酒や呉服や紙や野菜では「滑れないではないか」ということなのだ。与兵衛も「ダメ」だが、他の人びとも、そしておそらくは芝居を見ている私たち一人ひとりも皆「ダメ」なのだ。この作品が持つ普遍性のひとつは、そこにある。

 与兵衛が唯一、失敗をしなかったのはお吉殺しであったのかもしれない。殺しに至る経緯は舞台上に見ていただくとして、ちっぽけな「ダメ」人間にすぎない与兵衛が普遍性を持つのは、全人類に潜在する「殺意」との出会いを体験するからに違いない。

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