13/10/15

社会人WS

いそがしい社会人のためのワークショップ第六弾 リポート4

10月なのに、まだまだ暑い日が続きます。この日も時々冷房をかけながら行われました。
まずは、ペットボトルやタオルや紙などを使って、それを「とても大事なモノ」として扱うというエチュードから。一人ではなかなか「大事なもの」になりにくいので、相手役を設定。相手がそれをぞんざいに扱うと、大事なものを奪われる恐怖から、皆さん急に怒り始めました!

良い感じに感情が出てきたところで、次のエチュードへ。山の手事情社のワークショップでは定番の「こんな仕草にグッとくる」を行いました。これは、異性にグッとくる、ドキっとする仕草を提案してもらい、それを他のメンバーが交代で演じます。提案者のツボにグッときた人を評価する、というもの。女性が提案者だった場合は、男性に演じてもらい、男性が提案者だった場合は女性が演じます。2チームに分かれて行いましたが、途中、観ていた側に回っていたメンバーが、飛び入りで参加し始め、男女関係なく演じ大接戦に! 女性の提案(男性の仕草)でしたが、射止めたのは女性でした!!
同じルールで、今度は「ムッとくる仕草」をやってみます。こちらは少々難しいようです。ムッときたりカチンとくるのが仕草ではないからなのか、あるいは嫌われる仕草を演じることが、はばかれるからでしょうか。フムフム。次に繋げたいですね。

この日のメインメニューである《ショート・ストーリーズ》(寸劇)作りに入ります。チームに別れ、まずは「誰かが怒ってその場を出て行く」という枠の中でおこなってもらいました。その場を出て行くほど怒るというという経験は、ありそうでなかなかないものです。どうやれば出て行くことができるのか。ほとんどのチームに言える傾向は、実際に演じると言葉(セリフ)でなんとか説明しようとしてしまいがち。エチュードの経験を引き合いに出し、言葉だけではなく、そこに状態(体)があってこそ、というアドバイスをお伝えしました。

それをふまえ、2回目の《ショート・ストーリーズ》作り。今度は枠組みはなく、フリーで作っていただきます。皆さんそれぞれで考えていただいた出来事を元に、チーム内で話し合いをしてドラマの骨組みを相談します。実際に演じてみると、相談していたこととちょっと違ったり、物足りなかったりなど、様々な問題が出てきます。そうなんです、話し合いだけでは見えてこなったことが、実際に動くと見えてくるんです。ここが一番大変なところですけれど、オイシイところでもあります。

難しさと面白さ、両方を体験していただけたようです。


小笠原くみこ

13/10/10

演劇的生活No.1

『私が抱える危機感』

高校時代にこの道に進みたいと強く思いました。とても楽観的に、テレビや舞台上に立つ役者をカッコいいと、人々の大歓声をその身いっぱいに浴びている姿を見て、羨ましいと思いました。そして、親や周りの人間にたくさんの迷惑や心配をかけ、そして、未来の自分に期待して、上京しました。

私は今、ここ、劇団にいます。私の抱く理想にそう簡単に至るはずもなく、上京したということに満足して、人混みに埋もれています。どこを見ても人、人、人。お店は地元と違って夜遅くまで賑わっている。とてもとても、楽しい。町の賑わう音が、人々の足音が私を快楽へと誘う。学生たちの楽しそうな顔、意味もないことで盛り上がっている男女。少しでも油断すると、この快楽の波は、すぐに忍び寄ってきます。

こんなんじゃダメだ!

私は役者になりたい。そのために東京にきた。普通の人とはちょっと違う。東京という環境は、とても最適だが、あまりにも良すぎて心を殺す。バカになる。平和ボケになる。
世界的に見たら、全くといっていいほど、演劇が盛んでないこの島国で役者をやろうとしている! この狂気の沙汰を、感じる!
周りの友人に「舞台、興味ある? 」って聞こうものなら「ごめん、行ったことない」と即答されるのが普通。

昔に比べて、目に見えるものばかりが大切されるようになった氣がします、この時代が。そんな中、役者は思いを大切にする。目に見えない心に注目する。
だから、タスク志向化してしまった世の中を、この激流を、上へ上へと泳いでいかなくちゃ。嵐の中を「うおーっ! 」と雄叫びをあげながら、突っ切る船頭よろしく、ゴールの見えない真っ暗闇を口笛を吹きながらスキップするキチガイよろしく、私は今は生きねばならないと、感じる!

それはね、日本にも外にもライバルたちが、もうウジャウジャといるからです! 上にも下にも、苦労している人も、してない人も。
役者は、感情を、身体を、声を操らねばいけない。そのための努力を怠ってはいけない!

日常生活は、日常生活。尚かつ、プラス役者の生活だ! いや、役者の生活に、プラス日常生活だ!
舞台を、映画を観る。音楽を、人の声を聴く。そして、その度に感じるのは「危機感」です。

舞台上で全身を止めているダンサー。息をのんで観客が見守る中、左手をやわらかく動かしただけで、観る人を「え? 何? 」と感動させる、奇跡の力。
難しい話しをわかりやすく、面白く、伝える落語家。そして、観客の予想を見事なまでに裏切ってくるその力。

役者にとどまらず、すべての芸術家がライバルなんだ! だから、私はオチオチ普通の生活など送っていられない。
それに奇跡なんて、ないと思う。すべて計算し尽くされた、努力の賜物なんだ!

私の観察力はまだまだ抽象的でざっくりし過ぎているから、もっと洗練したものにしなくては。分からないことが多く、感じられないのなら、感じるまで動くまで!
とにかく今は、動け! です。分かることでいいから、とにかく動け! です。
例えば、映画を観る。自分の生涯を通じても世界中にあるすべての映画を観ることはできないでしょう。
それほど、量があるのだから、腹を決めて、とにかく観まくるしかないと思っています。

日々、自分との闘いです!

高坂祥平

13/10/07

演劇的生活No.1

『海外ドラマな生活』

ご存知の方もいらっしゃると思うが、主宰・演出の安田はテレビっ子である。関心するほど様々なジャンルを網羅している。稽古場で創作作業が行き詰った時や、ダメダシの例えでテレビで見た話題を持ち出すことは、しょっちゅうである。その影響を受けてか否か、私はテレビはあまり見ないが海外ドラマだけは見ている。最近はお笑い番組も見るようにしている。稽古場でのちょっとした時間におもしろかった海外ドラマの情報交換を安田とすることもしばしば。

海外ドラマと言っても私が主に見るのは、警察とか探偵とか犯罪心理などを扱ったドラマばかり。時々韓流時代劇。声高に「海外ドラマを網羅している!」とは言えないのだが、それなりに感じたことをつづってみようと思う。

人気のドラマはその国が抱える現代の問題点を描こうとしていると感じる。それは制作者の視点の鋭さということであり、演劇に携わる者としては大変興味深い。しかし、現代の問題だけを浮き彫りにしただけでは、限界が来るんじゃないかと最近感じる。

例えを出すと、私が好きなドラマで「CSI」シリーズと「ER」がある。
知らない方に説明しますと、「CSI」シリーズは警察の科学捜査をするメンバーとその捜査方法に焦点をあてており、「ER」は総合病院の緊急医療とそこに所属する人間模様に焦点をあてたドラマ。基本的には一話完結仕立て。これら2つのドラマは、アメリカで放映されている(された)息の長いドラマで日本でも放映されDVDでも見られるが、「ER」はだいぶ前に、「CSI」はマイアミ編が終了。「CSI」は他にラスベガス編とニューヨーク編があるが、近いうちに終了するんじゃないかと予想。終了した、するであろう一番の原因はネタがつきたんじゃないかと思っている。現代の様々な犯罪や医療の問題を手を変え品を変えドラマに仕立ててきたが、ネタがつきたと同時に、ネタを羅列する先のビジョンが見えていなかった制作者が存在するんじゃないだろうか。視聴者はそこに飽きたんじゃないだろうか。

現代を炙り出すと同時に、その矛盾や、現代の問題の背景にあるモノが何と繋がっているのかが描かれなければ、今人気のドラマだったとしても30年後50年後には記憶に残らないドラマになる。そういうことが必要なんじゃないだろうか。その点、生き残った古典作品と言われるものは、その物足りなさに存分な焦点があたっているということなんだと、今更ながらに気づいたりし。

例えに出したのが、歴史が短いアメリカという国のドラマだから余計にそう思ったのかもしれない。最近、安田にはヨーロッパの面白いドラマを勧められた。どんな意図で勧めたかは分からないが、今後見ようと思っているリストに入れる予定。これを読んだ方で、オススメのドラマがあれば是非教えていただきたい。

小笠原くみこ

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