13/10/29

演劇的生活No.1

『バアについて』

去年姪っ子が産まれた。
死ぬ程可愛いいので、何かと理由をつけては地元に帰り顔を拝み、会えない時はiPhoneで撮った写真や動画を見て心を落ち着ける。TwitterやFacebookに彼女の写真を掲載するのは極力控えているが本当は載せたい。「目にいれても痛くない」を実感する叔母バカである。そんな愛すべき姪っ子が1歳を過ぎた頃、なんとも悩ましい事態に陥った。

久しぶりに会いに行ったら、母が「Sちゃん(姪)がびっくりしちゃうから、あんまり激しいリアクションはとらないでね。」と言ってきた。失礼な! と思いながら姪の顔を覗き込むと、明らかに不審者を見る目つきでこちらを凝視している。まだ一歳だから誰か覚えていないのは分かるが、まるで化け物を見るように怯えているではないか! そう彼女、非常に慎重派でビビり屋になってしまったのだ。仕方がない。逸る気持ちをぐっと堪え、暫くは声も掛けず目も合わさないようにした。母や妹も協力してくれ、この人は仲間だよとアピール。一、二時間が経過した頃、ようやく彼女が私に近づいてきた。

そうかそうか、やっと慣れてくれたか! と喜びを噛み締め、ここは一つ思い切って距離を縮めようと万人受けするアレをやってみた。

「いないいない、バアー! 」

…なんと彼女、固まってしまったのである。「おねえちゃんの動きは勢いが強くて、早過ぎるんだよ。」と妹。免罪符だったのに! ぐっと弱めて言ってみたが全然駄目、いろいろ試したが終いには泣き出してしまった。 ここで引き下がるのも癪に障る私。どうやらバアという破裂音と大きく開けた口が怖いらしい。彼女の涙が乾いた頃、スローモーションで静かに近づきつつ、実に優しい毒気の一切混じらない声で、言ってみた。

「いないいない・・・、ファァァァァァァ・・・」

すると、ようやく、笑ったのだ!

こんなにオブラートに包まないと受け入れてくれないとは衝撃である。と同時に、こんなに真剣にバアについて考え、発声したことがあっただろうか、と振り返る。自分が発する言葉がここまで相手に影響を及ぼすのを目の当たりにし、俳優としてもっと言葉を大事にしようと思った。姪っ子よ、怖がらせてごめんよ。でもまたオバチャンの実験台になっておくれ。

三井穂高

13/10/28

社会人WS

いそがしい社会人のためのワークショップ第六弾 リポート6

このワークショップも六回目、折り返し地点にきました。エチュードや《ものまね》《ルパム》など、盛り沢山のメニューをおこないました。

参加者の皆さんがとても意欲的に取り組んでいるので、新しいエチュードが生まれました! 「家族椅子取り合戦」という本来はゲーム形式のエチュードの変形です。
メンバーは全部で8人。ペアになり、どちらかが動くだけ人、もう一方は声だけを出す人に分かれてもらいます。動く人4名は父・母・子ども2人の架空家族を動きだけで演じ、声を出す4名はペアになっている人のかわりに話すというもの。動き担当の人は他人に声を出してもらうため、ただ家族を演じるよりも、演技に無駄がなく分かりやすくなっていました。声をあてる人は、始めはひたすら喋ってしまいましたが、段々コツが掴めてきたようで、体の動きやエネルギーに沿った声を出すように意識しています。体と声を分けることでそれぞれの必然性を少し感じていただけたようです。

《ものまね》発表も行ないました。この課題、実は劇団員でも結構大変なんですが、どの方も忙しい中しっかりと準備されていたようです。小道具や衣裳まで準備している方も多数いらっしゃいます。中々見応えのあるものが出来上がりました。是非、発表会には幾つかの作品を載せたいと思います。

《ものまね》の面白いところは、演者がどういう人に興味があり、その人のことをどう思っているかが透けてみえるところです。つまり、他者を通じて本人を知る。観客だけでなく演者自身も見たことのない自分を発見します。

残り一時間で《ルパム》も作りました。まず一人一人、「未来の自分から今の自分」もしくは「過去の自分から今の自分」に向かって30秒話してもらい、共感出来る人同士でチームを組みます。話の中でキーワードを決め、動きを考えました。

始めの30秒トークが思いの外面白かった! 皆さん、自分にかなり不満がたまっているようですね。「何やってるんだよ?! 」と嘆いていらっしゃいました。体を動かして面白い動きを探る取り組みではなく、キーワードから動きを創造する。短い時間で新しい試みにも関わらず、構成までおこなってもらい発表。様々な想像が膨らむ内容になりました。

次回は二週間後です。どんな事が起きるのかとても楽しみです。


三井穂高

13/10/25

演劇的生活No.1

『偽電気ブランになりたい』

なぜ私は演劇をするのでしょうか。

というのは、ずっと考え続けていることで、それはきっと「これだ! 」というたったひとつの普遍的な答えがあるのではなく、大きなものから小さなものまで実にたくさんの理由があるのだと思うのです。

しかもそれは、普段の生活の中でふいに気づいたり、かと思えばいつの間にか消えてしまっていたり、自分自身ですらなかなか捕まえられないやっかいな代物です。

ですから当然、簡単に語り尽くせるものではありません。でもだからと言って、語らなければ自分の中で考えは深まっていかないのです。語り尽くそうとするのではなく、その時々で感じている事を地道に語っていかなければ。ここはひとつ、言葉にしてみようと思います。

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先日、高校時代の友人から一冊の小説を譲り受けた。彼女曰く、「昔もてあそばれた男がくれた本だから絶対に読みたくないの。」それでもなぜか今まで捨てずに留めておいたその本を、やっと手放す気になったらしい。

「ふーん。いらないならもらう! 」親友の古傷をたった一言で片付け、さっそくその小説を読み耽った。舞台は京都。私自身も学生時代を過ごした古都の情景が、懐かしくおもしろくほろ苦く描かれるなか、一際輝きを放って登場したのが”偽電気ブラン” という不思議な名を持つお酒だ。幻の酒、と言われるこのお酒を初めて飲んだ主人公が、こんな風に語る。

「偽電気ブランは、口に含むたびに花が咲き、それは何ら余計な味を残さずにお腹の中へ滑ってゆき、小さな温かみに変わります。それが実に可愛らしく、まるでお腹の中が花畑になっていくようなのです。飲んでいるうちにお腹の底から幸せになってくるのです。大げさに言うのを許していただければ、偽電気ブランはまるで私の人生を底の方から温めてくれるような味であったのです。」

アルコール度数30%とか40%とかのお酒をつかまえてお花畑とは。とんだメルヘンである。
私の学友をもてあそんだ男とこの乙女チックなメルヘンさもまるで結びつかない。まぁそんなことは意にも介さない私は、この主人公に、いや、偽電気ブランに、深く感銘を受けてしまった。そして思ったのだ。「偽電気ブランになりたい。」ここで私はびびっときた! あ、これだ、これが私が演劇をやる理由だ。つまり私は、自分ではない何者かになって、誰かを元気にさせたいのである。

「おいしそう、飲んでみたい。」ではなく、そのものになりたいと願う。人間がお酒になれるわけないのに。偽電気ブランを飲んだことも見たこともないのに。でも自分が自分のままでできることには限界を感じている。

一見不可能で、無謀でひねくれたこの私の夢が、演劇だったら実現するかもしれない。私は演劇に、そんな期待を寄せて、重荷を負わせて、日々の稽古に取り組んでいる。

願わくば俳優として、誰かの腹の底に花畑を出現させたい、というのが目下の私の願いである。

(数奇な巡り合わせで私の手元にやってきた小説は、森見登美彦さんの『夜は短し恋せよ乙女』です。)

名越未央

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