14/06/26

にごりえ

『いしはらいしこ』(俳優紹介)

石原石子。
山の手事情社のなかでも数少ない芸名保持者である。
石子というが、男である。
この劇団には、ツッコミ好きが揃っているのだが、芸名の由来を知るものはいない。
思えば、入団早々、主宰・安田に直談判し、芸名を名乗る許しを勝ち取った日を思いだす。
思えば、あのときの石子は頼もしかった。

そうこうしつつも、時は過ぎ。
『道成寺』 の再演で共演する。
わたくし斉木が若僧を演じ、蛇に化生した女から散々に逃げ、駆け込んだのが道成寺。
そこで修行をしている偉いお坊さんの役を石子が演じていた。
もともと初演では、浦さんがこの偉いお坊さんを演じていたのを、石子にバトンタッチ。
石子の優しいところが舞台上に出ていて、また違った味わいであったことを思い出す。

そして、久しぶりの若手公演である。
石子も若手のなかでは、年次は上で、有象無象の下のものたちに溢れている。
下のものをびしびしと鍛え、男らしいところを見せているのであろうか。
どうだろう。
先輩を先輩とも思わない後輩・鯉渕の傲慢な態度を厳しく指摘し、リーダーシップを発揮しているのだろうか。
・・・。

していない気がする。

しかし、樋口一葉が書いた『にごりえ』 のお話は、
布団屋を経営していた男が、娼婦にはまって、仕事もうまくいかず。
自分の子どもがその娼婦から高価な菓子を貰ったことで嫁と口論になり、妻子と別れる顛末となる。
最後には、その娼婦と無理心中を果たすというお話である。
ちょっとした諍いから、坂から転げ落ちるように転落していくのである。
石子には、夫婦間のちょっとした経験が詰まっている。
『にごりえ』 ではその才能が爆発するに違いない。
明治の香りが色濃く残る『にごりえ』 という作品が平成の世にどう立ち上がってくるのか、
演出・安田の手腕はもちろんだが、石原石子の渋い演技が楽しみである。

斉木和洋

14/06/25

にごりえ

『にごりえと私たち』

只今、『にごりえ』の作品と自分たちがどう結びつくか探している真っ最中です。
にごりえの中に描かれている地獄とはなにか。
私達にとっての地獄とは?
答えはそう簡単には見つかりません。テキスト以外の稽古では、様々なエチュードや寸劇作りを繰り返しながら、私たちが普段抱えている悩みや苦しみを浮き彫りにしようとしています。
《漫才》(エチュード)では、皆ここぞとばかりに自分の恥ずかしい過去話を暴露しました。
お互いの度肝を抜こうと、話題がどんどん過激な方向に流れて行くんですよね。
面白い反面、聞きたくなかったとげんなりした気持ちにもなります。
さらに演出の安田からは、
「その話、舞台にのせられないよ! 」
・・・ダヨネ。

また別の日は恒例の《ものまね》 発表。
なんか全体的に空回りしている。ものまねってほんとに難しくて、演者が力みすぎてもいけないし、弱くてもダメ。絶妙なバランスがなかなかとれません。
凹んでいるところにバリエーションに富んだダメだしが各自に放たれます。
「お前はザリガニだ」
「なぐさめてもらいたいのか?」
「日常が、お腹いっぱい」

何が苦しいってね、言われることなんじゃなくて、わかってるけど何もアイデアが浮かばないってところなんですよね。いじけても、逆ギレしても、解決しない。自分で何とかするしかない。そして、こんなに苦しんだところでいいものができる保証がないってこと。なんだか話題がそれちゃったけど、要は私たちがどんどん悩んで考えていけば少しは『にごりえ』に近づけるんじゃないでしょうか。

雨降れば、地固まりますから。

三井穂高

14/06/25

にごりえ豆知識

「にごりえ」豆知識3/言文一致運動

樋口一葉の活躍した明治初期、平安時代からほとんど変わらず使われてきた文語(書き言葉)を話し言葉に近づけようとする運動が起された。

明治になって読み書きする階層が広がるにつれて、両者の違いに不便が痛感され、意思疎通にも学問習得にも便利なものにしようとしたためだった。これには学者だけでなく二葉亭四迷、尾崎紅葉、山田美妙らの小説家がそれぞれ、「だ調」、「である調」、「です調」の新文体を実作を用いて試みた。しかし当時はまだ文語体で書かれた作品も多かった。

一葉の作品も文語体で書かれており、口語体に慣れ親しんでいる現代人には読み辛いものの、詩のようなリズムのよさ、優雅さがあり、雅文(がぶん)と呼ばれている。

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