13/12/18

演劇的生活No.1

『日常の生活』

少し前まで、演劇に限らず、芸術ってものは、あの世の様な所から現実の世界にイメージを持ってくる仕事だと思っていました。そのためか、芸術に興味のあった私は、昔から自分の日常をおろそかにする所がありました。

「現実を見たくないから演劇をやっているのか…? 」とか、「何かを否定したくてやっているのか? 」とか考えてるうちに、ある時、凄く恥ずかしい気持ちになりました。それって日常と演劇を乖離させているんじゃないか? と。
何故演劇をしようと思ったのか? 何に惹かれるのか? そんな疑問に、自分の中で答えに繋がっていく感覚が芽生え、ここ最近、日常を改めて感じようとしています。それは、「自分の日常」であったり、「身内の日常」であったり、「誰かさんの日常」であったり、普段生活をすればあたりまえに感じる日常を否定しないで過ごすことです。

具体的な事であげると、家族に会ったり、美味しいものを食べたり、誰かにお礼を 言ったり、文句を言ったり、電車に乗って何処かに出掛けたり、うちで家事をしてゆっくりしたり、テレビを見たり、「誰かさんの日常」を話して貰ったり、会話を盗み聞 きしてその人の日常を覗いてみたりします。

なぜ、改めて感じようと思ったのかは理由があります。この間、劇団の先輩がえずこシアターの市民劇団を演出した作品を観に行きました。その公演を観て、何となくそうなんじゃないかと思っていた事の確信が持てたのです。「生活をしている人間は魅力的なんだなぁ」という事でした。
もちろん、演出の力があっての公演でしたが、演者さんを観てそう感じたのだから、きっとそうなんだろうと思います。

「生活をしている」というのは、私生活が垣間見える事でも、癖が見える事でもありません。その人の生き方が醸し出している雰囲気の事。簡単に言うと「生き様」なのですが…。その「生き様」が作品や役と繋がっていくのが面白いと、個人的に思います。
先輩からすれば、上記の事は当たり前かもしれません。それを私はここ最近発見したのです。(もしかしたら後輩からしても今更なのかもしれませんが…)

日常を生きようとする事が、演劇に繋がる事に感じます。

中川佐織

13/12/10

演劇的生活No.1

『絵文字撲滅委員会』

私が芝居に取り組む時しばしば悩まされるのは、イメージと実際に行ってみた時のギャップである。イメージの中でワクワクするものが、実際に声に出してみた途端にちっとも面白くなく、自分にがっかりすることが良くある。役者の仕事は身体と声を使い実際に人の目に見える形で世界を表現することである。頭の中にいくらイメージがあっても、それが表に出せなければ意味がないのだ。

しかしながら、あまりにもやりたいように声が出ない私は、まずは他人としてではなく自分としてイメージ通りの声をだせるのかどうか試してみることにした。それが「メールの朗読」である。なるべく業務的なものではなく、プライベートで会話のようにかわされたものをピックアップし、夜中に1人声に出して読んで見た。
「了解!! 久しぶりに会うのたのしみだねー(キラキラ)」
「それどうかな(笑)興味ないならないって言っちゃえ!! 」
「今日はボロボロだったよ(。_。)もう嫌だぜーっと(爆)!! 」
携帯の明りを頼りに、夜中にベットで呟く女が1人。
「ぜーっと(爆)!! 」「ぜっ。。。」「ぜーっと」「ぜ、ぜ、ぜ。。。」
全く上手く読めません。これはどういうことでしょうか、自分で書いた文章が自分で読めないなんて。

よく分からないのですが、例えば凄く疲れていたとします。そんな時友達から明るいメールが来たとします。そうしたら、明るく返しますよね。その時、相手が本当に目の前にいたり、せめて電話だとしたら、自分の体自体も元気にふるまわせる必要があるんです。でないと場の空気が壊れてしまう。だけどメールの場合、嘘でも明るい言葉を使ったり、絵文字1つで元気な自分が作れる。それは自分の身体ではなく、頭を通った言葉なんです。最近はもっと便利なLINEのスタンプなるものが出来て、私の代わりに実に見事な表情と身振り手振りでその場に適した感情を表現してくれます。自分を脱したいという欲望を、スタンプは実に見事に叶えてくれる優れモノです。色気の無い私も、べティちゃんのスタンプを使うだけで少し色っぽくなった気がしたり、世にもかわいらしい笑顔を作ってくれたり。

そういえば昔お付き合いした方に「メールでやりとりしてる時と、会った時の感じが違うね」と言われた事がありますね。実際会ったら思ったより暗かったみたいです。

という訳で、世の中恋人との別れすらメールですむ時代です。どんなに悲しくても、「今までありがとう(笑顔、きらきら)」と送れば、涙を見せずに済む時代、どんなに悪いと思って無くても「深く落ち込んでいるクマ」のスタンプを送ればそんな感じに見える時代。
これは、ハッキリいって危険です。今、きっと大半の人が「クマとウサギ」に自分の感情を表現させているのではないでしょうか。いいのか!? 「クマとウサギ」でいいのか私!? ええ、お分かりの通り、その大半というのは私の事です。「穴からひょっこり無垢な笑顔で笑うウサギ」この絵で何度自分をごまかした事か。

長々と書きましたが、つまりこれは自分への反省文です。役者たるもの、絵文字やスタンプで自分を表現するなと、適当な文章も書くなと。書く時はその時の自分の感情を確かめるべく即その場で朗読しろと、そういう事です。

この場を借りて、今後スタンプの乱用をしない事を誓うと共に、いつの間にか友達の印象が「人間でないもの」にならないよう、皆さんもどうぞお気を付けて。

小栗永里子

13/12/04

演劇的生活No.1

『わたしの稽古場』

「よく そんなにたくさん台詞喋れるね」
「間違えずに覚えてるね 凄いね 感心する」
と友人に言われる。

うん、それはね、もの凄く練習するからですよ。

人生の半分演劇と関わってきて、出来ることも増えてきたけど、台本を渡された瞬間に覚える、そんな素晴らしい能力は身につかないので、とにかく何度も何度も読むという直球方式だ。

夢の中でも、朝起きた瞬間でも、ぼーっとしているときでも、無意識の瞬間でも、いつでも台詞が出てくるよう身体に染みるまで読みまくる。

俳優によって覚え方はいろいろあるかと思う。車の中でとか、自転車こぎながらとか、ご飯食べながらとか、お風呂の中でとか…でも私は声に出し、さらに動きながらでないと覚えられない。そして、歩きながらブツブツ台詞を唱える方法が一番いい。

かなり大声でブツブツ言うので怪しいらしく、すれ違った人によく振り向かれる(笑)
(すれ違ったことある方ごめんなさい! )

お恥ずかしながら小学生の頃から演劇をやっているが、その頃から覚える方法は歩きながらブツブツ言うことで、もうそれが変えられない。そして、昔から坂の多いところに住んでいたので、坂道で声を出すことが馴染んでいて、坂道が一番覚えやすい。

今住んでいるところも坂道だらけ。山に囲まれていて夜になると真っ暗でとても危険な道。怪しい人につけられたりとか、振り向くと全裸の人がいたりとか、何度か怖い目にあったこともある。なので、自分の身を守るためにも、帰りにその坂道を通る時は全力で台詞を言う。情念とか怨みのこもった恐ろしい台詞はもってこいだ、誰も近寄らない(笑)。この坂道はいつの間にか私の一番の稽古場にもなっている。

最近発見したのはただ覚えるには下り坂がベストだということ。うる覚えだから台本をチラチラ見つつ、前から来る人や障害物にもぶつかならないように前方も視野に入れながら歩くには、下り坂がベスト!!

台本を手放して言えるようになったら上り坂が良い! だんだん息切れして苦しいが、それを利用して長台詞の稽古をする。一息でどこまで台詞を言えるか。どこで息を継げばいいか。走ったりしなくても、息が上がってくるので、身体がぎりぎりの状態の時に出る声が発見できたりもする。

そんな感じでいつも通る坂道。この坂道、高校の演劇部時代から通っていて、その当時は友人とよく台詞を合わせていた。余計な事を考えずとにかく声を出し、台詞言うのが楽しかった。笑いながらよく稽古していたな。台詞もどんどん覚えていた。

いつもの道を通り、そんな無邪気に演劇と戯れていた自分の姿に出会う。なんだかあの頃のほうが声が通ってた気がするなぁ…。だんだんといろいろな技術や知識がついてきたけどとっても大事なことを捨ててしまっていたような気がする。無邪気に演劇に向かう、これが台詞を覚えるにも一番近道だよな。

変わらない道を歩きながら変わってしまった自分に気づいた今日この頃でした。

山口笑美

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