10/06/22

オイディプス王

稽古場を遠く離れて

ハンガリーはペーチの公演にて。生まれて初めて己の唾液に溺れた大久保です。流れ込んでくる唾液に対してセリフが出つづけたため、ゴボガッとなりました。素人か!と自分に突っ込みを入れ、ハンガリー人にバレませんように。と心で手を合わせました。なむー

芝居がうまいって何だろう?

と激しく考えた旅でした。
うまいとか、凄い、演技、演出、役者。

自分は芝居下手ですが、ヘタウマを目指したりは決してするまい、と思ってきました。下手は下手なのだ、それを売りにするまい、うまくなるのだ、と。
しかし、なんだか、そんなこと考えるのもバカバカしくなるような、豊かな世界があるのだなあ…と、この旅で気づかされました。
今まで「ここがウマいレベル」と設定して必死でモゴモゴしてたところが、実は大したレベルじゃなかった、みたいな。

そういう衝撃は、気持ちいいものです。

下手なりに、凄くなることも、可能なんじゃないか。

と自分にいいように解釈し、よーし!
ってな気分です。
よーし!

大久保 美智子

10/06/21

オイディプス王

東京公演に向けて

自分たちが当たり前にやってることが、海外で上演してみてその特殊性に改めて気付かされることがある。

山の手の「オイディプス王」という作品には冒頭で「配役」と呼ばれるシーンがある。
ベッドの上でたわいもない会話をしていた女の子が、男優の演じる運命たちによって役をふられ「オイディプス王」の中の登場人物たちに変身していくシーンだ。
変身という言葉ははふさわしくないんだけど、とにかく体のかたちを変えて違うものになったということにしている。自分には程遠い人物や自分の知らない感情を自分に入れ込むための器を作る作業だ。

これは他の演目でもたびたびやることはあるし、今回も演出的な理由でことさらにそういうシーンになっているのだが、考えてみたらこんな演じ方はルーマニアやハンガリーの観客にとっては新鮮な感覚だったのかもしれないと思ったりする。

欧米でも同じ芝居で複数の役を演じることはあるし、舞台上で変身することもあるし、その演じ分け自体が俳優の能力ということになっているけれども、いずれにしても元の自分からは変身してその役の人物になりきっているという約束になっていると思う基本的に。

でも山の手の「四畳半」の場合、その体に俳優個人は完全には消えておらず、俳優個人と役の人物は微妙な距離感で同居している。
そういうことになっている。(厳密には女の子の役というのも消えずに同居しているのかも)
たぶん日本的な感覚なんだと思う。

「配役」のシーンは、図らずもそういったことを伝えられるシーンになっていたのかも。

観客の反応はどちらの国も上々だったけれど、声や動きのエネルギーがヒットしたのか、あるいは構成や見せ方がヒットしたのかいろいろあるんだろうけど、僕らが予期していないところを思いがけず拾ってくれていることがあるんだろうなと思う。

去年持って行った「タイタスアンドロニカス」でも、僕らが亡霊歩行と呼んでいたものが向こうの観客にはずいぶん面白かったようだ。「四畳半」では普通にやる水平移動だけど、そのときはいつもと違う本来のすり足のやり方に意識的にこだわった。

今回もそういった演劇的に特殊なところが、ある程度でもいいものとして伝わっていたのならばとってもうれしい。

海外公演をしたことは結局、自分たちが日本の観客に何を見せているのかということを改めて問うことになったのでとてもよかったと思う。
僕はルーマニアやハンガリーの観客よりアサヒアートスクエアに見にきてくれる日本の観客の方がはるかに怖い。

はたして九月の凱旋公演はどういったものとして受け入れられるか。

山本芳郎

10/06/20

オイディプス王

視線の力

只今の時刻は早朝4時35分。

帰国して数日が過ぎようとしているのに、
いまだ時差ぼけなのか、不眠の日々が続いている。

眠ろうと思っても、台詞がよぎり、
自分ダメだしが始まりかえって疲れる。

もう今日は眠るのをあきらめ日誌を書こう。


9月公演が控えているのでオチオチ過去の事に浸って
はいられないのだけど、ルーマニア公演・ハンガリ―
公演の本番中の感じは思い出すだけで興奮してくる。

ルーマニアもハンガリーもどちらもたった一回公演。

莫大のお金と労力をかけてたったの一回公演!!

失敗は許されない!
とことん見せてやる!!
楽しませてやるぞ!!

劇団員みんなの気合いがつまったエネルギッシュで
熱い公演だったのではないかと思う。
日本人のエネルギーをしっかり見せられたのではないかと思う。


観客もエネルギッシュでギラギラしている。

さあ今回はどうくるか!?
見てやるぜ〜!!

というような熱をもって客席でうずうずしている。
自分達からつかみにくる、楽しませてくれよと。
熱い視線を感じ、客席全体がとてもよく見えた。
目で見えたというより身体が全ての観客を感じた。

観客の熱さで、こちらもさらに燃え新たな力が溢れ出てきた感じがした。

そしてどちらの国も言葉が分からない分、ものすごい勢いで私の中まで
入ってくる、私の心の動きを逃さないぞという集中で向かってくる。
すごい力を感じる。
じゃあこちらも見せてあげますよと裸になれた、というか
今までとは違う集中で観客に向かうことができ、
見せる方・見る方 「演劇」の良い関係ができたのではないかと思う。



しかしまぁ、この情熱的な視線は本当に興奮する。
毎回感じている俳優達が本当にうらやましい。
観客とのやりとりが確実にある。
厳しくもあたたかい視線。
たった一回だったがこの視線を受けて
私の中の何かは確実に変わった。


それがいい状態で東京公演で出すことができるよう
この感覚はなくさないようにしたい。


山口笑美