14/06/05

にごりえ豆知識

「にごりえ」豆知識/あらすじ

7月に若手公演「にごりえ」を上演いたします。山の手事情社初・女流作家に挑戦! 本公演とは違うフレッシュな顔ぶれが出演。公演をご覧いただく前に、知っておくとより楽しめる、豆知識をお届けします。

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新開地の銘酒屋(※1)「菊の井」の一枚看板お力には、かつて蒲団屋の源七という深い馴染みの客がいた。
源七はお力に入れあげた挙句破産してしまい、いまは妻子と侘しい長屋暮らしをしているが、お力のことが忘れられず時々会いにくる。そんな源七をお力は冷たくあしらう。

ある雨の日、お力は結城朝之助という客を店に呼び入れて、親しい関係になる。話を聞いてくれる朝之助にお力は源七のことも打ち明ける。

一方、源七は仕事も手につかなくなり生活は妻お初の内職に頼りきりになっている。お初の愚痴はとまらない。「白粉つけて美い衣類きて迷ふて来る人を誰れかれなしに丸めるがあの人達が商売、だまされたは此方の罪、それよりは気を取直して少しの元手も拵へるように心がけて下され」

ある日、お力は宴会の席で「我恋は細谷川の丸木橋わたるにや怕し渡らねば」と歌いかけて急に店を飛び出していく。「これが一生か、一生がこれか、ああ嫌だ嫌だ」放心して町を彷徨うお力。そこを通った朝之助が声をかけて我にかえり、その晩お力は朝之助を帰さなかった。

そして源七とお初は、息子がお力から高級な菓子を貰ってきたことがきっかけとなって、激しい口論をし、遂にお初と息子は家を出て行く。

それから数日後、お寺の山で男女の遺体が発見される。後袈裟で刺されたお力と切腹で自害した源七であったという。


※1 … 銘酒屋とは、明治時代、銘酒を飲ませることを看板にし、裏面で私娼を抱えて営業したお店のこと。

14/06/04

にごりえ

『にごりえの時代と風景』

『にごりえ』に取り組みながら思うこと。
男は仕事がダメになると自分もダメになる。
女は親に恵まれないとダメになる。という仮説。
これには普遍性があるのではないかと・・・。

ところで、みなさんはどんなお家に住んでいらっしゃいますか?
一戸建て、マンション、アパート・・・
明治時代都市部でもっとも一般的だったのは「長屋」でした。
長屋って江戸時代の話なのでは?
いや、昭和の戦前まで庶民の多くは長屋住まいだったそうです。
町の表通りには商店など店舗付きの表長屋が軒を連ね、路地裏に長屋が建ち並んでいました。
間口9尺(約2.7m)の玄関を入ると、1.5畳の土間があり、その奥に4畳半というのが一般的なタイプです。ここに家族で住んでいました。
自分だけの部屋なんてあり得ません。
共同トイレ、風呂なし、入浴はたいてい銭湯でした。


『にごりえ』に登場する源七、お初の夫婦もかつては裕福でしたが、源七が菊の井のお力に肩入れしすぎたため破産して、いまは貧しい長屋住まいをしています。


とはいえ、当時東京にはもっと貧しい暮らしをする人々がいて、貧民窟といわれるスラムを形成していました。
たった3畳の広さに6、7人で住んでいたり、木賃宿という安宿に寝泊りして日雇いの仕事など、その日暮らし。
軍隊の施設の近くに多かったようです。
何故かというと、そこから出てくる残飯を食料にしていたからです。
かつて陸軍士官学校のあった神宮外苑のあたり、海軍大学校のあった浜松町の近くに大きな貧民窟がありました。


こんな環境で家庭をもったら、それこそ大変です。
その日食べるものにも苦労するというのに、男は借金してまでもお酒をがぶがぶ飲むそうで、居酒屋は毎晩大賑わいだったそうな。


上野駅のすぐ近くにも大きな貧民窟がありました。
地方から出てきた女の子がひとりでいると男が声をかけるそうです。
割のいい仕事を紹介するから、と。
今でもありそうな話ですが、たくさんの女の子が売春婦に身を落としていったそうです。
多くの子が梅毒にかかり20代のうちに命を落としたそうです。


『にごりえ』の舞台である銘酒屋も非公認の売春宿です。
お力がどんな経緯で酌婦になったのか具体的には明かされませんが、両親とも貧しく、早くに亡くなって悲しかった思い出は明かされます。
女がひとりで生きていく時の選択肢は本当に少ない時代でした。

そして樋口一葉の生きた明治中期は、経済が急発展し、日本が戦争に邁進し始めた時でもあります。
ああ、近頃のニュースを彷彿させるような。


人々は毎日命がけで暮らしていたのではないでしょうか。
そんな時代の空気感なんかも描けたらいいなあと思います。

越谷真美
※写真:樋口一葉のゆかりの地を巡るツアーより

14/06/03

にごりえ

『生きるために』

『にごりえ』を書いたとき樋口一葉は23歳であった。素敵なことに私も今年で23歳だ。つまり同い年なのだ。

そして、『にごりえ』という作品を読む限り、私より遥かに精神年齢が高いと思う。いや、しかしわからないぞ、私は小説というものを書いたことがないから、本腰を入れて書いたら、もしかしたら、『にごりえ』のような素晴らしい作品が書けるかもしれない。

いや、無理だろう。

私は彼女のように小説の勉強をしていないからだ。まあそれは精神年齢とは関係がないかもしれない。

とにかく、だ。『にごりえ』は本当に素晴らしいと思う。本読みに向けて、家で声に出して読んだりしているのだが、泣けてくる。しかも、毎朝同じところを読んでいて、毎朝ちゃんと泣けるのだ。

毎朝だぞ。

つまり、私の人生において『にごりえ』 は大ヒットの名作であるのだ。

彼女はこの作品をお金のために書いた。貧苦の中、生きるために必要なお金のためにだ。

自慢ではないが、私にもお金がない。そして、生きるために私は演劇をしている。

現代日本において、演劇をやってる人は周りから特異な目で見られる。表現するのが苦手な民族だからだ。そして、一葉の生きた明治は、男女平等ではなかったし、文筆で生計を立てようとした彼女を周りは特異な目で見たろう。

こう考えてみるといろいろと共通点があって面白い。

まさか100年後に、とある役者連中が、『にごりえ』やるなんて一葉も思わなんだろうが、やるからには一葉のように100年受け継がれる名作にしたいと思っている。

高坂祥平
※写真:樋口一葉のゆかりの地を巡るツアーより

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