11/03/21

The Dead Father

『最後のことば』

俳優にとって一番必要なものは何ですか?
2010年度「俳優になるための年間ワークショップ」の受講者を募集するために
《山の手メソッド》一日無料体験を開催したときに
ワークショップの受講者のみなさんに投げかけた質問です。
魅力、柔軟性、面白いことを常に考えている、センス
などなど
さまざまな答えが返ってきました。
そして、なぜワークショップを受けようと思ったのか?
あるひとりの受講者はこう言いました。
「ここ(山の手事情社)でなら戦える武器が身につけれると思ったから」

武器はここでは売ってないよ
自動販売機でジュースを買おうと思って、ボタンを押して、その商品が出てこなかったらクレームだろうが、
カタログを見て欲しいものを選んで、ボタンを押して、その商品を購入するなんて、
世界中の養成所でやっていることだし、
そんなものならつまらないなと
漠然と感じたことを思い出す。

はじめは、演技とは何か?俳優とは何か?
というコンセプトにしようと思い、
修了公演に『1億3千万人のための俳優教室』という仮題をつけましたが、
さまざまな紆余曲折を経て、
『The Dead Father』というタイトルになりました。
そして修了公演を通じてぼくが伝えたことは、
他人にとってはどうでもいいような悩みを
本人にしかわからない深刻さで受け止めていることがあるはずで、
それを教えて欲しい。
掘り出して欲しい。
まっすぐに見つめて欲しいということでした。
ほんとうにちっぽけでどうでもいいことだけど、
それは俳優にとっての創造の源泉だと思ったから。

君たちはこれから、こことは違う場所で戦う日々が始まるんだと思います。
それでいいと思うし、
俳優になるためのほんの少しの手助けはしましたが、
こうなればいいという、ぼくの思惑などは飛び越えて、
自分の思う道を歩めばいいと思う。
君たちのなかにはきっと、俳優として戦える武器が眠っていて、
それはきっと自分で見つけなくてはいけない。


自動販売機でジュースを買おうと思ったら手紙が届いた。
そんな思わぬ便り
思わぬ成長を期待しています。

斉木和洋

11/03/16

The Dead Father

『一年を通して』

一年間はやはり長いようで短いです。
修了公演も無事終わりました。
協力していただいた方々、有難う御座いました。
思い返せば、去年、劇団の凱旋公演の手伝いや、チラシ用の写真撮影、極寒の納会等いろいろな事がありましたが、どれもこれも気が付けばもう去年の出来事です。
「この一年間で成長したのか?」と聞かれたら、「確実にどこかしら成長しました!」
≪ショートストリーズ≫を創作することは、考えることの幅と物事を見る視野を前より広げてくれました。
一辺倒の考えだけでなく、「こう考えてみたら?」など、アプローチの仕方が増えました。
「苦手」だった≪フリーエチュード≫も得意になったというわけではありませんが、少なくとも「苦手」ではなくなりました。
稽古の中でなら、周りに止められるまでは暴れていいこともわかり、大胆なこともするようになりました。
体力や筋力は変わったかどうか良くわかりませんが(もともとと得意なところなので)、会う人皆から痩せたといわれます。
研修生としての一年は、専門学校にいた頃よりも充実したものでした。
それしかやらないからそうなのですが、より演技の勉強はできたと思います。
やはり学校と違って厳しいところもありました。
当たり前ですが・・・。
ここで学んだことを生かすも殺すも自分次第だと思うので、教わった事を自分なりに解釈してより成長していきたいと思います。

鯉渕翼

11/03/10

The Dead Father

『一年と「The Dead Father」を越えて』

「なんで山の手事情社に来たの?」
この一年間、飲みの席や作業の合間に幾度となく
聞かれた。その度に同じことを答えていた。

「自分が苦手な事を稽古でやるからです!」

大学時代に山の手事情社の『道成寺』に圧倒されたことや、
去年の研修生公演のルパムを見て「あれがやりたい!」と泣いたことや、他にも理由はあるけれど、
一番は稽古メニューの中に「即興」(フリーエチュード)の二文字を見つけたこと。
苦手で、できればやりたくないけど、その先に面白いことがありそうな気がした…
よし、戦地(もしくは地雷原)に乗り込むぞ!!

でも、稽古が始まって「即興」の先には「苦手」が待ち構えていた。
仲間はたったの6人、しかも途中で減って5人。
(後にまた6人になるのだが・・・)
人ごみに紛れることを得意とする私には、逃げも隠れもできない。背水の陣(気持ちは)。
≪フリーエチュード≫なにをやっていたか、やっていなかったかすぐにバレる。
目立たなかったら目立たなかったで凹む。

劇団の本公演の手伝い、作業。
やっぱり紛れることは出来ず、つねに見られている(と勝手に思い込んでいる)感覚に どぎまぎしながら、仕事を探して右往左往。見つけたら見つけたで手をつけていいものか
おたおたビクビク。
再び稽古に戻って、≪ものまね≫ネタを探すのも作るのも演じるのも自分。
結果がすべて自分に跳ね返ってくる創作に、「逃げたい」けど「逃げられない」。

≪研究発表≫≪ルパム≫≪ショートストーリーズ≫
今度はチームで創作。「意見を言わなきゃ」と思っているだけで意見が出せない。
ビビっていたり、思いつかなかったり。
面白いアイディアを出す周りのメンツに恐怖を感じる。
自分がチームにいる意味がないように感じて落ち込む。

さらに、≪ショートストーリーズ≫や≪漫才≫のお題として斉木さんに求められたのは、「自分たちに近しい地獄」いいかえれば「生々しい話」結果一年間の、そして修了公演のテーマ(?)にもなったが、そういうのを見るのも苦手、語ろうにも自分から発信したネタはことごとく「弱い」と言われ、仲間の語る面白エピソードに、「自分は一体なんなのさ…」と今までの自分の人生について、この世に「水田菜津美」という人間が存在する必要があるのか?まで考えて無駄に壮大に落ち込んだ。(「この世」は言いすぎですが…)

ひたすら地味に、じんわりじわじわと「苦手」と付き合い、『The Dead Father』を終えた今。
見えたのは意外にも「芝居の楽しさ」だった。
「出来ない」という「苦手」に飲み込まれて、与えられた事をこなすだけを良しとしていた時、ビビりまくっていただけの時には
わからなかった事。
『The Dead Father』のなかで最高に好きな台詞
「わくわくしなさいよ!」
舞台上では自分が叱咤する側として発して、
でも舞台上の「菜津美」にも、素の「菜津美」にも
自分で言って、自分でズキンとくる言葉だった。
「出来ない」とビビっているときのドキドキと、
「なにが起こるか分からない!」とわくわくしているときのドキドキは、同じもの。どっちの側からみているか、ということだけで。

「俳優がわくわくしてなきゃ、何をみていいかわからないよ!!」
千秋楽直前に麻里絵さんに入れられた活。
最後までビビりが完全には抜けてはくれなかったけど、わくわくした。

この一年で、『The Dead Father』を通して、
露呈した「しょうもない自分」「つまらない自分」でも
「わくわくする事ができる自分」
これからどうやって芝居とかかわっていけるだろうか。
わくわくできるようになった事にかかわる、全てに感謝!!
と同時に、心はすでに次の戦闘に向かってドキドキしてます。
この一年間に植えつけられた「油断ならない…」という感覚、
やっぱりここは戦場でした。


水田菜津美