09/05/25

タイタス/ルーマニア

汗。

このたび制作部に入りました、氏家綾乃です。
うじけ、と読みます。
よろしくお願いいたします。


事務所の横に第1スタジオがあります。
事務所の上に第2スタジオがあります。

隣が静かだなぁと思ったら、上から工事現場のような
音が聞こえてきたり。
上が静かになったと思ったら、隣から役者さんのうめき声やら喘ぎ声やらが聞こえてきたり。
いつもにぎやかな稽古場です。

毎日稽古場で顔を合わせて、毎日のように思うのです。
みんな痩せたなぁ。
痩せた…なぁ。
や…つれた…なぁ。
いや、みんな健康なんです。
ただ運動量がハンパないだけで。
通し稽古のあとは汗の水溜まりができるくらい
ですから。
人間、こんなに汗かくことができるんだぁっと
新しい発見。

もうすぐ出発です。
ルーマニアに、日本の汗を届けにいってまいります。


氏家綾乃

09/05/22

タイタス/ルーマニア

二年後のシビウ

ども、安田です。

ルーマニアで初演する、
改訂版『タイタス・アンドロニカス』。
その最初の公演地がシビウです。
私がその場所を初めて訪れたのは、2年前のこと
でした。演劇評論家の七字英輔さんが「面白いよ、
行かない」と、誘ってくださったのです。
半信半疑で向かったシビウでしたが、そこの演劇祭に触れて、あまりの面白さにびっくりしました。
そんなに多くはありませんが、私もいくつかの海外
フェスティバルは訪れたことがあります。
規模の上では、イギリスのエディンバラ演劇祭や
フランスのアヴィニョン演劇祭などには遠く及ばないものの、レベルの高さではそれらをはるかにしのぐ内容
だったことに正直驚きました。
そこにはまぎれもなく「演劇でしかできないもの」に
あふれていたのです。

通常のフェスティバルでは、「これは!」と感じるお芝居が10本のうち、1、2本あれば、当たりです。
わざわざ来たかいがあったと考えるべきなのです。
ところがシビウでは、8本は面白いという当たり方で、
あまりの刺激に、レポートを書いてしまったほどです。
(ご興味のある方は、岩波書店の『思想』という雑誌の2007年第10号をご覧ください)

いつか参加してみたいと思い、コンタクトを取っていたのですが、まさか、わずか2年でこのフェスティバルに招待してもらえるとは思いませんでした。昨年は中村勘三郎一座が招待されています。
しかも、メイン会場であるラドゥ・スタンカ劇場での公演が決まったのです。とてもうれしいと同時に、ひしひしとその重みを感じています。
そんな緊張感の中で稽古が進んでいます。もう10年
以上付き合っている作品なのですが、毎日うそのようにさまざまな発見があり、それに伴って芝居は変化して
います。

近いうちにぜひ日本のお客さまにもご覧いただきたいと思っています。


安田雅弘

09/05/21

タイタス/ルーマニア

雑感

もうすぐルーマニアです。
なにやら随分と質の高い演劇と観客があふれている
文化的な先進地域みたいです。
半端なものを見せてはならぬと稽古場ではみんな
ぎりぎりの格闘を続けています。

そう、半端なものは絶対に見せられません。
でも一方で僕はルーマニアの人達と違うところを
はっきり見せられればと思ってます。

勝負したら負けるんです。
向こうの土俵ですから。
「四畳半」は独特です、ワールドスタンダードには
なりません・・多分。

「四畳半」は元々、汲汲として縮こまって生きている
僕ら現代人のゆがんだ精神の姿を描き出すものとして始まりました。

それはいまでも変わらないのですが、それ以上に僕は、現代人だけでないもっと昔からの日本人の
美学というか感性みたいなものが圧縮されてると
思うようになってます。

意識的に解凍していけばいくほど、これって独特の美学だよなと思うことがたくさんあります。
あるいは精度を高めようと考えていくと、何らかの日本的な美学に対し意識的になってしまいます。

「四畳半」の動きは毛筆で書をかくことに似ています。
縁が切れずつながっており、太かったり、かすれたり、止めて、はねて、柔らかく、力強く・・・。
ペンで書くアルファベットとは違います。
もちろんタイプライターとも。
ポーズの変化も、矢が放たれる直前の弓の状態です。
パントマイムではありません。
急な動きも木に積もった雪が落ちてしなった枝が戻る
風景です。
ピストルではありません。
止まっている時間も、タイミング取りではないです。
間(ま)です。
床や道具や相手に触れるときも、たとえば襖や障子がそれ以上でもそれ以下でもない力で音もなくスーッ
ピタリと閉まる感じです。
鉄扉のガチャンではありません。
立ち上がりも着物を着たときのように無駄なく煙が
あがっていくように。
落ちる時も落ち葉が落ちるように、石が池に沈む
ように。
相手とのすれすれの動きも、自己を押しつけず関係していく日本的な感覚です。
すり足は言うまでもなく
・・・以下省略。

古めかしい風景ではありません。
僕らが僕らの感性に無自覚なだけです。

たぶん興味深く見てくれるはずです、違うんですから。
向こうの人達と違うそんな感性をちゃんと伝えることが
できたら喜んでもらえるのではないかと思ってます。
敬意は自分たちとは違うものに対して向けられるものです。

アジアの肉体を見せてやれよ。


山本芳郎