10/05/20

オイディプス王

言葉は通じないけれど

ルーマニア&ハンガリー公演初日まであと二週間を切りました!!

今回オイディプス役となり、寝ても覚めてもオイディプスの台詞が離れません。
本番前によく見る定番の夢、
芝居ができてないのに本番の幕が開いてしまった夢
をいつもより早く見ているような気がします。


四畳半稽古に入り、一日8時間近く四畳半でシーン作りをしていたら気づかないところで首の筋を痛めていたらしく首が回りません。どの動きで痛めたのか、全く覚えがありません。自分の身体の鈍さが恐ろしいです。

最近、台詞の微妙な違いを指摘されます。
×「それ」→〇「これ」
×「実の母」→〇「俺の母」
などなど。
若手の劇団員や研修生が担当になりチェックしてくれます。

ありがとう!申し訳ないっ!!と反省しながら、心のどこかで

「でもルーマニア人やハンガリー人には日本語通じないし〜」

と思っているのか夢の中では、台詞を何語か分からない言葉で言い、たまに擬音を交えながら汗だくでオイディプスを熱演している自分の姿を見る時があります。
でも「ブラボー」とか言われちゃってたりして、夢の中ではなんか通じている様子です。


そう!実際、現地の人には全く言葉は通じないし、夢の中で私が聞いたよく分からない音、にしか聞こえてないんだろうな〜と思います。
そんな時こそ四畳半の出番!!
言葉が分からなくてもオイディプスの状態、心象風景をよりクリアに表現できるはずです。
それがどんな身体でどんな声なのか?!

残り時間僅かですが、オイディプスの真相に近づくよう、自分の身体もビックリするように日々自分に仕掛けていきます!!

山口笑美

10/05/18

オイディプス王

運命といわれるもの

前々から思っていたのだが
運命ってものは突然の産物などではない
神様のイタズラとかそんなものではない
ということ
すべて、自らが招いた産物なのだということ
である

偶然は必然のもとに起こる

ということだ
それは地震、台風という大自然の脅威も
僕にしてみれば必然なのだ
上手く説明はできないが
かなり確信していることだ

ふいにパスポートを探したら部屋中探しまわっても見つからなく
青い顔しながら稽古に参加していたり

新人文君の自信なさげなセリフ回しに、必死で笑いをこらえたり

自転車がいつも駒沢公園の辺りでパンクしたり

はたまた、民主党政権や、不安定な経済、ヨーロッパの方で火山が爆発中なのも
すべては僕の必然のためなのだ

2年連続シビウ演劇祭に参加する、演目はギリシャ悲劇「オイディプス王」
決して偶然とか運命などではない
必然なのだ

岩淵吉能

10/05/17

オイディプス王

運命に翻弄される運命

「オイディプス王」を山の手事情社が初めて公演したのは2002年。
東京、鳥取、静岡、香川、ポーランド、そして今度はルーマニアと8年の年月を経てよりクォリティーの高いものになりつつあります!
ですが、私も8歳年を取ったわけでやはり肉体的にきつくもあります。
そして追い討ちをかけるように昨年患った40肩‥
この「オイディプス王」の作品では男優は相当肉体を酷使する作品になっている。
過去にも稽古で前歯を二本折ったり、足が二倍にはれ上がるくらいの大怪我をしたりとかなりハード!
男優は縦横無尽に舞台を転がり、駆け回る。

稽古では昼からぐるぐる回って身体もふらふら、頭もクラクラ。夕方にはもうヘトヘトである。
休憩の時は男優は死体のように転がっている。
岩淵は大の字に仰向けになり、めがねが傾き眉間に皺を寄せ目を閉じている。
斉木も大の字になり頭が壁にもたれ首が垂直に立って目がうつろで異様な姿。
川村さんはなぜか「住み慣れたっ、我が家に‥‥」と吉幾三の物まねをやっているが目が死んでいる。
文はきつそうだが初舞台ということもあるのだろうか、まだ気が張っているようだ。

一瞬無言になった後、なぜか各人、吉幾三の物まねになった。まるで発声練習のようだ。
その後、所ジョージやら、なにやらといろいろな物まねに変化していく。
頭がぼ〜としてくる。

そしてまた男優は稽古を再開し回転運動やら、ドタバタと身体を痛めつけ、変な声を出し、あ〜でもない、こ〜でもないと
意見を交わしていく。

そして21時を回った。ここからは体力も限界に達し、怪我をしやすくなる時間帯だ。
そのことを皆わかっているので少しピリッと集中してくる。
岩淵がおもむろに「君は1000%〜」とカルロス俊樹&オメガドライブを歌う。
私もその歌声になぜか少し勇気付けられる。完全におかしくなっている。
川村さんはラムーの「愛はこぉこぉろの仕事よ〜フ〜ウ」と歌っている。
決してふざけているわけではない!むしろ自分を奮起させるためにやっているのだ!
でも完全におかしくなっている。

そんなこんなで急ピッチで作品が創られている現場でした。

浦 弘毅