稽古場日誌
このところ、ロス気味である。
何がさみしいのかというと、小学校だ。
僕の出た小学校が生徒数減少と老朽化のために今年度で廃校になって取り壊される。
関門海峡と九州を望める絶景の丘の上にあり、学校自体は148年の歴史がある。
レトロな今の校舎も80年近い。
過疎の街とはいえ、歴史的名所がいたる所にある。
耐震工事でもなんでもして、観光に結びつけて文化施設として再利用すればいいものを、そんな話はまったくない。
まあそれはいいとして。
いたたまれなくて、閉校イベントに出るため先日久しぶりに帰省して40年ぶりの母校を訪れた。
いずれ廃校する学校に整備の予算なんて下りなかっただろうから、ほとんどの場所が昔のまま残されている。
一方で、たとえば校舎の時計の下にあったフェニックスの木が屋上近くまで成長して時計が見えなくなっていたりする、そんなちょっとしたことに歳月を感じたりすることもしばしば。
あまりにも懐かしい。
特別思い出深い出来事があったわけでもないのだけれど、やはり子供時代の記憶は特別なのだ。
なぜこの場所がなくなることがこんなにもつらいのだろう。
懐かしいだけでは済まされない、身を切るような痛みだ。
自分のからだの一部がなくなっていく感覚。
でも誰にも共有してもらえないように思う。
奇しくも同じタイミングで、母親の施設入居に伴い実家を売却した。
生まれ育った家がなくなるなんてことは、多くの人が普通に経験することだと思うけど、僕には格別の事件だ。
人と死に別れるのは辛い。
でも昔過ごした場所がなくなっていくさみしさというのはそれとはまた違う気がする。
場所がなくなることで、そこに張りついた子供時代の記憶までどこかに消えてしまうような気になるのだ。
僕はおそらく、まだ幼い自分の息子を通して自分の幼少期を追体験している。
だから帰る場所がなくなる猛烈なさみしさなのかもしれない。
こんな風に書いてると、「そんなのよくある話じゃん」とか、「感傷的になってるんじゃないの?」とか思うやつらが絶対いる。
やかましい! 黙っていろ!
僕に言わせれば、<振り向かず前だけを見て生きる>とか、<今だけに集中し続ける>なんていうスローガンは、一部のタフなイケてる人間の言うキレイゴトにすぎない。
たいていの人は感傷的になって過去を振り返りながら生きていくのだ。
そんなわけでニュージェネレーション公演『ほんのりレモン風味』、レモンは青春の象徴ということだけど、出演者のみんなは昔の青春の記憶を掘り起こしているんだろうか。
いやむしろ今が青春真っ盛りのはずだよね!
ちなみに僕は青春なんて思いつかない。
みずみずしい記憶があるとすれば、子供時代だ。
そもそも青春や昔の思い出が甘酸っぱいとか、そんな表層的でお決まりのイメージは一体誰が決めたんだろう。
僕にとってのレモンは、小学校の臭いトイレだったり、何十年も磨き込まれた廊下や階段の木のへこみだったり、理科準備室のホコリ臭い匂いだったり、緑色に汚れたプールだったり、錆びついた遊具だったり、友達と帰り道に立ち寄る古い駄菓子屋とか、近所のこげくさい焚き火の匂いだったり、そんな汚らしい場所いろいろである。
何度でも言うが、誰とも共有は出来ない。
山本芳郎
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ニュージェネレーション公演『ほんのりレモン風味』
日程:2022年2月23日(水・祝)~27日(日)
会場:大森山王FOREST
詳細は こちら をご覧ください。