稽古場日誌

ニュージェネレーションが始まって約三か月経った頃、《ものボケ》という稽古が行われたことがあった。
《ものボケ》とはその名の通り、稽古場にある日用品や小道具など、なんでもいいので自由に使って、とにかく面白いことをやってくれ、といった内容の稽古だ。
山の手事情社の稽古では、発声や身体を鍛える基礎的な訓練の他、こういったいわゆる「お笑い」のような即興の稽古も演劇には重要な要素として頻繁に取り入れられる。その度に、我々にとってはぶっちゃけ「これは何かの罰ゲームなのか?」としか思えないような緊張が走ることになる。

しかし、そんなメンバーの思慮など歯牙に掛ける訳もなく、エチューダーの谷さん(劇団員の谷 洋介)の無慈悲な合図で、皆が一斉に物を使って必死にボケ始める。
僕も食器の皿を頭に乗っけて河童の真似をしてみたり、木刀を両手に持ってスキーの動きをしながら広瀬香美の歌を歌ったりしてみたが、全くウケない。
そもそも谷さんは劇団の中でもとくに笑いに厳しく、見た目もスキンヘッドだし、目つきも鋭いし、あと普段あまり喋ってくれないので、常日頃から周囲の空気もどこかピリッとしているというか、簡単に言うと怖いのだ。
そういった空気の中で無理に笑わせようとすればする程、ボケは空回り、スベりにスベり、稽古場は一気に地獄と化していく。
次もウケなかったらどうしよう、どうすればウケるのか、ぶっちゃけもうスベって恥をかきたくない、などの思惑が頭の中を巡り、谷さんの「ほら! 次」という声だけが、ぽっかりと空いた発表の空間に響く。

と、その時!

何かの天啓が舞い降りたかのように僕の脳内に電流が走り、閃く。
急いで目の前にあった炊飯器を手に取り、それを自分の横に置くと、僕はロボットの動きをしながら炊飯器に向かって、こう言った。

「ルーク様はどこにいったんですかねぇ?」

そう! 
かの有名な「あの映画」のキャラクターを炊飯器に見立てて、再現したのだった。
その結果、なんとこのネタにより、稽古場にこの日一番の笑いが起こる。
難攻不落だった谷さんも、ようやく笑みをこぼしながら「映画のことはよく知らないけど、それでも分かった」と言ってくれた。

とはいえ、このネタ自体はすごくくだらないものだったに違いない。技術的に、芸術的に、何か優れたことをした訳でも、もちろんない。しかし、それでも僕はこの瞬間、芝居においては演出家と同じ立場にあるエチューダーの要望に、自分のパフォーマンスによってなんとか応え、演出家もその瞬間を見届けてくれたという確かな充実感を得ることができた。
僕にとっては、まさかの奇跡が起きた瞬間だったのだ。

ニュージェネレーションの稽古を通して「何かしらのストレスによってこそ、エネルギーは生まれる」ことを学んだような気がする。ある程度の肉体的かつ精神的な制約を自らに課し、それを逃げずに受け止め、抗おうとする際に生じる活力を表現に乗せる、という美学が山の手事情社にはあると思う。
そして、それは自分が表現活動をしていくうえですごく斬新なことであり、と同時に、とても腑に落ちる感覚でもあった。
そんな一連の過程を以て、僕は翌年、山の手事情社の正式な劇団員になることを決意したのだった。

その後、劇団員になるきっかけになったのが、じつはあの時の炊飯器のネタだったんですよ、と谷さんに伝えたら「どうかしてる」と言われたが、それでもあのネタが僕と山の手事情社を繋いでくれた奇跡のネタであることには違いない。
山の手事情社のニュージェネレーションとは、そういった奇跡の瞬間と出会える一年間なんじゃないかと思う。

藍葉悠気

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