稽古場日誌

テンペスト(2018年) 山本 芳郎 2018/04/09

夢のネタ切れ

『テンペスト』のお話は、政界を追われ娘とともに島流しにされたミラノ大公プロスペローが、政敵を魔法の力でおびき寄せ、奇怪な島でひどい目に合わせて懲らしめ、最後にはみなに許しを与えてミラノへと帰国するという大団円で終わります。

しかしなぜプロスペローが政敵たちを許すのか、何度読んでみてもいまひとつ釈然としないものが残ります。
内心は憎しみがありながらも引き裂かれながら許している? 時の流れによるプロスペローの人間的成長? 奴隷のキャリバンたちの反乱による心境の大きな変化?
どれもしっくりきません。

そもそもキリスト教文化の世界では、許す者こそが許されるという、なんだか煙に巻かれるようなちょっと日本人には馴染みのない考え方が根底にあります。
だからそんなのは考えてみてもよくわからないのです。

それはそうと山の手事情社の『テンペスト』は原作に少し別のモチーフを加えており、プロスペローが妄想に復讐されるというお話になっています。
ある種の大団円ですがハッピーエンドではなく、妄想の力を手放したプロスペローの死をもって終わります。

つまり一人の人間の終末を描くという大枠があるのですが、
たしかに立場を逆転すれば、冒頭の場面で語られる辛酸をなめたプロスペローの述懐は、被害者面した老人の一方的な戯言とも言えなくもありません。
プロスペローを追い出した弟アントーニオたちからすれば、政治の任務を放棄してまで秘術の研究に没頭していたような大公を罷免して政治の安定を取り戻すことはごく当たり前のことです。

もっと言うとこのプロスペローが語っている過去の出来事は現実に起きた出来事ではなく、大公でもなんでもない普通の老人が、自分を悲劇のヒーローにして頭の中で妄想を膨らまして描いたお話なのかもしれないのです。

話が少しずれますが、僕の父はちょうど1年前に亡くなりました。
亡くなるまで5年以上完全に寝たきりで、栄養も口から摂ることが出来ず、起きていても薄目を開けたままただ中空を見つめているだけの生ける屍のような状態でした。
ただ頭だけは働いているでしょうから、毎日一体どれほど退屈で悔しい思いをしているのだろうと不憫でしかたなかったのですが、ひょっとしたら本人の中では違っていたのかもしれなせん。
もしかしたら頭の中で目くるめく妄想に浸りながら、まるで夢の中にいるように妄想の飛躍を楽しんでいたのかもしれないと思ったりするのです。

誰でも生きているかぎり夢を見ますし、夢が生きる活力になることは誰でも知っています。想像力を駆使して妄想にふけっている時間をなくすと人は生命力が枯渇するんでしょうね。

チューブでバランスのいい栄養食を摂り続けていた僕の父親も本当はもう少し生命を維持することは出来たんじゃないかと思いますが、夢のネタ切れなのか、妄想にふけってばかりいることにどこかで飽きてしまったのかもしれません。

ただ妄想に飽きたそのとき、人は憎しみというような妄想の産物からも同時に自由になれるのかもしれないと思うのです。

この『テンペスト』という戯曲、シェイクスピアの他の作品にはない不思議で独特な気分が漂っていてなんだかよくわからないものです。
また17世紀以降の世界の植民政策や奴隷制といった学術的な文脈で語られることの多い作品ですが、
今回少し見方を変えることで僕にとっては身近に感じられるものになったように思います。

そしてシェイクスピア最後の作品と言われる『テンペスト』が、彼の死後友人たちによって編纂された最初のシェイクスピア全集の冒頭にわざわざ載せられた理由もなんとなくわかるような気がするのです。

山本芳郎

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劇団山の手事情社ヨーロッパツアー壮行公演『テンペスト』
(下丸子×演劇ぷろじぇくと2018特別企画)
日程=2018年4月12日(木)~13日(金)
会場=大田区民プラザ 大ホール
詳細はこちらをご覧ください。

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