稽古場日誌
『桜姫東文章』の原作者、四代目鶴屋南北とはどういう人だったのか。
ひと言でいうなら、観客をびっくりさせることに人生をかけた男、ではなかろうか。
鶴屋南北は様々な舞台仕掛けを考案したことでも知られている。
「早替り」 → 同じシーンで1人の俳優が2役以上の役を演じるとき、衣裳や鬘[かつら]を変えて、短い時間で年齢や性別、善悪などを替えること。歌舞伎の『桜姫東文章』では、清玄と権助が兄弟という設定で、1人の俳優がこの2役を兼ね、早替りが使われている。
「戸板返し」 → 早替りの一種。『東海道四谷怪談』の隠亡掘[おんぼうぼり]の場面で、釣り糸を垂れる伊右衛門の前に流れ着いた戸板に、彼によって殺されたお岩が表面に打ち付けられていて、この戸板をひっくり返すと同じく殺された小平が現れる仕掛け。
「提灯抜け」 → 同じく『東海道四谷怪談』の「蛇山庵室[へびやまあんじつ]の場」で、伊右衛門がお岩の供養のために迎え火を焚いている時、提灯の中で、ヒトダマがゆっくりと回り、提灯に燃え移ったかのように燃え、お岩の亡霊がその中から出てくるという仕掛け。
などなど。
このような仕掛けの舞台を初めて観た人たちは驚き、「これはキリシタンの妖術だ!」とウワサを立てたという。
それを聞きつけた奉行所の役人が劇場に調査にくる。そこで、南北たちは役人に仕掛けを見せたところ、役人は驚き、「これはすごい!」と逆に評判になり、さらに客足が増えた、というエピソードがある。
さらにこのエピソードは、南北が客を呼ぶために仕掛けた戦略ではないか、という説もある。
というのは、南北は宣伝もうまかったと言われている。敏腕プロデューサーでもあったのである。
劇場の宣伝看板に大凧を上げたり、生首をつるしたり、様々なアイデアで注目を集めたらしい。
びっくりした人たちの顔を見て、腹を抱えて笑っている南北の姿が想像できる。
そして、死ぬまで現役を貫いた南北は最後の最後まで人々をびっくりさせる。
鶴屋南北は、1829年(文政12年)11月27日、江戸深川の黒船稲荷境内の自宅で亡くなったと言われている。
お葬式は四十九日に行われたそうだが、その時、参列者にある冊子が配られた。『寂光門松後万歳(しでのかどまつごまんざい)』という題名で、南北が自分の葬式を脚本仕立てに書いた印刷本だ。いい意味であきれる。
大まかな内容は、葬式の祭壇の配置、和尚の読経のタイミング、そして施主の挨拶のセリフ、そして棺桶から南北の死体がよみがえって「万歳(ばんざい)」を演じる趣向が書かれたもの。棺桶の中の南北が、棺桶の底をポンポン叩いて踊るらしい。
お葬式は弟子たちがこの本の通りに行い、たくさんの歌舞伎関係者も参列し、とにかく盛り上がったそうだ。
自分の死をも笑いにしてしまう南北のエンターテイナーとしての精神は、計り知れないものがある。
そんな鶴屋南北が書いた『桜姫東文章』、乞うご期待!!
谷 洋介
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劇団山の手事情社 創立35周年記念公演
『桜姫東文章』2020年3月14日(土)~17日(火)
会場=東京芸術劇場 シアターウエスト
詳細は こちら をご覧ください。