稽古場日誌
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新型コロナウイルスの出現によって、世の中から演劇をやる意義が問われております。
そんな中、今年も研修生が集まってくれました。その中には、それぞれに様々な理由や決断があったことでしょう。
そこで、今回の劇団員による稽古場日誌は「何故ワタシは演劇をやるのか」をテーマとして、今年度の研修生を応援していきます。
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『地獄の黙示録』という映画が好きだ。
作品の中で主人公は任務遂行のためにジャングルの奥地に向かって川をさかのぼっていくのだけど、それはまるで人間というものの奥底へ分け入っていく旅のようでもある。
表向きはベトナム戦争の矛盾という強いメッセージはあるのだけど、数ある戦争映画の中でもこれほど露骨に、さらに哲学的にも神話的にも人間の狂気という心の闇の奥をのぞかせてくれる作品はないように思う。
何が言いたいのかといえば、なんとなくこういう世界が好きなのだ。
なぜ演劇をやるのか、なんてことについてははっきりと答えられない。
そんなこと聞くんじゃないよ、って感じだ。
なんとなく続けているのである。
ではどういう風になんとなくなのかと言えば、なんとなく考えてみるに、見えないものとか見たくないもの、見てはいけないものとか隠されているもの、怖いもの、不可解なもの、計り知れないもの、そういうよくわからないものへの扉が開かれている世界に惹かれている。
だからたとえば『地獄の黙示録』なのだ。
だから演劇なのだ。
演劇界ではたくさんの人が演劇の社会的必要性についてしっかりした考えを述べてくれている。
それはそれで素晴らしい仕事だし勇気づけられるんだけれど、もし僕がそんな立派で明確で前向きな理由で演劇をやっていたとしても、同じく明確で前向きな理由でもって演劇を辞めていたかもしれないと思う。
もちろん僕も演劇の社会的意義や使命などについての理屈は僕なりに長々と語ることは出来る。
でも演劇をやっていることの本当の理由は自分でもよくわからないのである。
その不可解さになんとなく惹かれているのだ。
話はずれるけど、いまコロナの時代になって演劇界では「演劇の灯を消すな」とか、「演劇が生きていくために」的な声が叫ばれている。
たしかに通常の形での上演は出来なくなっている。
また一方で少しずつ状況もよくなっているが、それもいろんな方々が多大な努力を重ねてきてくれたおかげだ。
でも個人的にはそんなに鼻息を荒くして心配しなくても本当に演劇が滅びることなんてないよ、と思っている。
事情はむしろ逆で、人間は長い歴史の中で何度も何度も新型ウイルスによるパンデミックとか戦争とか飢餓とか圧政とかを繰り返し経験してきたはずだけれども、それでもなぜか不思議と人間が絶やさずに続けてきた不要不急の営みが演劇というものなのだと思う。
人に何かを伝えたいという根本的な欲求が本能にあるとして、演劇の仕組みの中にそれが含まれているかぎり、演劇は消し去りたくても消し去ることは出来ないものなのだと思う。
初めから演劇は人間にとって人智を越えたよくわからないものなのではないか。
なぜ演劇をやるのかという問いかけは、自分の奥底を覗き込むようなもので、その答えを見つけてしまうことはとても怖いことなのだ。
だからなんとなくなのだ。
山本芳郎