稽古場日誌

山の手事情社には《メイクマシン》という稽古がある。
想像のものを受け取り、加工して次の人に渡す。自分が機械になりつつも、熱情を込めて想像を身体で表現していく稽古だ。

正直、私はこの稽古が怖くてたまらない。
まず、高確率で最初にやる1人目になるのだが、初めの人は受け取るものの質感、重さ、大きさなど全部自分で作り出してよい。自由度は高くてやり易いのではないかと思うかもしれない、いや現に私もそう思っていたのだが、難しいのだ。

質感、重さ、大きさ、いざやろうとすると伝わらない。重いものを持っているつもりなのに「重そうに見えない」と言われてしまう。その後も潰したり、磨いたりしているつもりなのだが、だいたい伝わらない。後には早く自分の出番が来ないかと待つ人がいる。そう思うとなお焦ってまったく伝わらない。

日常で重いものを持ったこともあるし、潰したり、磨いたりすることだってあるはずなのに、何故かまったくリアリティーがでないのだ。他の稽古でも、コップの持ち方、言葉の選び方、その他いろいろな場面でリアリティーがないと言われる事が多かった。だからきっと何か足りないんだろうと思いながら、もやもやとした日々を過ごしていた。

しばらくすると、また《メイクマシン》の稽古をやる機会がやってきた。またしても伝わらない。その時、「人生、雑に生きてるのではないか?」という言葉をもらったのだ。

今までもやもやしていたものが、ひとつにまとまった気がした。

ああ、そうか、そういうことか。
普段の生活から意識を変えなければならないのだ。
自分の行動や言葉を客観視してみる。外側だけでなく内面の動きにも敏感になってみる。周りの物や人を良く見る……。
当たり前の事だが全く出来ていなかった。

もっと自分自身の外側と内側をよく知る努力をしなければいけない。自分以外の物からの刺激を敏感に受け取らなければならないと思った。
それは「丁寧な生活」という言葉になるのではないかと思う。
稽古場での稽古だけでなく、日常生活から意識を変えて丁寧な生活ができるよう、思考錯誤の毎日である。

有村友花

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