稽古場日誌

ニュージェネレーション 草野 明華 2021/12/19

幕が上がるその前に

「私たちは、舞台の上でならどこまでも行ける」

これは『幕が上がる』という小説の台詞です。
確か中学生の頃、この小説を読んで高校演劇、そして演劇の世界への憧れを募らせたことを覚えています。そのあと友達に貸して……、あれ、返ってきてないな。まあそれは置いておくとして、今、一言物申したい。

そんなわけないだろーーーーーーー!!!

少なくとも私は、まだ舞台の上でどこにも行けません。台詞と筋書きがあれば他人に変身出来ると思っていたし、日常で人とコミュニケーションをとるのは苦手だけど、演劇なら誰かと通じ合えると思っていました。でもそんなことはなくて、演劇は想像以上に難しいし苦しいです。そしてこれまでの稽古を振り返ってみると、演劇は何よりも日頃の過ごし方や自分の生き方が反映されるものなのだ、と感じるようになりました。

特にそれを強く感じたのは《漫才》の稽古です。これは「怒り」「恥ずかしかった話」等のテーマに沿って自分が経験した出来事をテンションMAXで相手に語る、というものです。その稽古の中で、「どこを一番伝えたいのか分からない」「つるつる話していて聞いてる方に引っかからない」と言われたことがありました。

そのときに気付いてしまったんです。

「自分の考えたことや感じたことを聞いてほしいとは思っているけど、それを相手に伝える工夫や努力をしたことがないぞ、私……!」と。

お喋りをしているとき、相手の反応は大体「へー」とか「そっか」で、話が広がらない。さすがに、私って喋るの下手だなあと思いながらも「コミュ障だから」なんていって原因を真面目に考えたこともありませんでした。そりゃ、家族と喋ってるときに「それ独り言?」「誰に話してるの?」と言われることにも合点がいきます、だって伝えようとしてないから!

そのくせ、人には厳しい。相手の話を聞いているフリをしつつ「つまんないな〜」なんて、思考はどこかに出かけていることもしばしば。心の中では「面白い話してほしいな」なんて思っている嫌なヤツです。自分は出来ないのに!
そしてこんな受け身な姿勢だから、《漫才》で相手の話を聞くときにツッコむことが出来ません。相手の話を受け取って、同じ気持ちで騒いだり、時には突き放してみたり。そうして話し手を美味しくしてあげるのが大切なのに、ちゃんと聞けていない。

私は21年間、超省エネで人とコミュニケーションをとってきたのだ、ということを思い知りました。相手に頼りっぱなしで自分は努力してこなかったのです。気付けて良かったけど、気付いてかなりショックでした。だから変わらなくては。
最近は普段のお喋りでも相手に楽しんでもらえるように、言葉を強調したり、説明を工夫したりして「伝える」を諦めないようにしています。それから、人の話を聞くときは想像力を使うこと(出来ればツッコむ)。もっと人との会話やコミュニケーションにエネルギーを使おうと足掻き中です。と言いつつ、すぐ忘れてしまうので自戒の意味も込めて日誌に書いています。
人の気持ちを想像しましょう、なんて小学生の道徳の教科書かよって感じだし、多分めちゃくちゃ当たり前のことなのですが、きっとそういう日常の積み重ねが舞台上でのあり方を変えるんだと思います。

そして、その先で「私たちは、舞台の上でならどこまでも行ける」って言えるのかもしれません。まだまだ解決すべき課題は山積みですが、日常生活でも稽古でも丁寧に一つずつ乗り越えていこうと思います。

草野明華

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