稽古場日誌

タイタス・アンドロニカス/女殺油地獄 浦 弘毅 2015/09/14

16年目の「タイタス・アンドロニカス」

山の手事情社の『タイタス・アンドロニカス』初演は1999年世紀末。劇団が創設されたのが1984年なので、劇団の歴史の半分近くは『タイタス・アンドロニカス』に費やしたと言っても過言ではない。

初演は1999年富山県の利賀村での公演だった。当時の演目名は『印象 タイタス・アンドロニカス』。舞台は上手(舞台向って右側)に大きな囲炉裏(横1.8メートル×奥行0.9メートル)があり、天井には布に包まれた人のかたちをした物体が3体吊られていた。全面コバルトブルーと白のストライプで統一され、冷たいイメージがする、そんな舞台だった。
囲炉裏の中にはスライムが80リットルほど入っていた。今ではネットで作り方がすぐにわかるスライムだが、当時は図書館に行ったり、いろんな人に聞いたりして重曹、洗濯のり、お湯などの分量を研究しながら作る大変な作業だった。
タイタス・アンドロニカスの妻が客入れから終演までずっと囲炉裏のところに正座していて、その妻の脳裏に描かれる風景としてシェイクスピアの戯曲『タイタス・アンドロニカス』に、アルベール・カミュ『カリギュラ』、ハイナー・ミュラー『解剖タイタス』を加味して創作がはじまった。

シェイクスピアの『タイタス・アンドロニカス』はシェイクスピアの作品の中でも残酷劇、復讐劇とされ、登場人物のほとんどが劇中で死ぬというかなり恐ろしい芝居だ。

それに山の手事情社の演技スタイル《四畳半》がとてもよく合い、まるで亡霊たちの戦争さながらの異様な芝居であったと記憶している。

富山県の公演を経て、東京公演を新宿のスペースゼロで上演した時は「劇場にお化けが集まっていたね」と霊感の強いお客様から言われた。数々の情報、計器に故障、怪我など信じられない出来事が起こったのも事実だ。
これは奇怪な出来事ではあるが、芝居としては成功を収めたと言っていいのではないかと私は思う。残酷劇でない、幸せな芝居でこのような現象が起きたのならまだしも、そもそも恐ろしい復讐劇のなかで、本物のお化けも見に来てくれていたのなら、こりゃ~役者冥利に尽きますよ。まぁ~私は霊感というものはありませんが・・・。

そこから数々の演出の変更があった。囲炉裏はなくなり、タイタスの妻が何年かはいなくなり、ある年からタイタスの妻が復活したり、衣装は洋服から和服に変わったり、舞台美術はスマートになったり、俳優は年を取ったり、辞めていった劇団員がいたり、昔の『タイタス・アンドロニカス』を見て劇団に入ってきた若者がいたり、などなど。

その間『タイタス・アンドロニカス』は

ドイツ 首都ベルリン
スイス 首都ベルン
東京 吉祥寺シアター
ルーマニア シビウ国際演劇祭
東京 アサヒアートスクエア

と数々の国で上演されてきた。2009年のシビウ国際演劇祭ではその年の最高作品にあげられるなど山の手事情社の代表作品である。

2015年11月、再び東京吉祥寺シアターでの上演が決まった。その後12月には宮城県えずこホールを回ることになる。

山の手事情社の魔物『タイタス・アンドロニカス』が日本を席巻する。
これは劇団員一同喜ばしいことではあるが、恐ろしくもある。なにせ魔物の封印を解き、暴れさせるのだから。命がけである。

安田は「劇場とは魂と触れる場所である」という。《魂》とは歴史であったり、先人の思いのことであると私は解釈する。

この作品はそういった意味でも世界的代表作品なのではないだろうか?
私が世界的なのではない。劇団山の手事情社がだ。

是非観てもらいたい作品である。

浦 弘毅

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