稽古場日誌
タイタス・アンドロニカス/女殺油地獄 水寄 真弓 2015/09/26
「私と悲劇」をテーマとした稽古場日誌を書け。
劇団からそのような御布令が出た。
難しい。悲劇とはなんぞや? と、改めてウィキペディアで確認する。
『悲劇とは、古代ギリシアに成立し、ルネサンス以降のヨーロッパにおいて継承・発展した演劇形式である』
ふむ。そうであろう。
しかし、ここで語るべき悲劇については、それと違うものを求められている。
仕方がない、辞書を引いてみる。
『人生や社会の痛ましい出来事』
ふむ。辞書を引くまでもなく分かっていたことだ。
ところで、今これをお読みの皆さんの中には
「あなた誰ですか?」
と思われている方もいらっしゃるであろう。
ご挨拶遅れました。
山の手事情社 劇団員 俳優部の水寄真弓と申します。
一応長く在籍しておりますが、数年前より休団していたため国内作品には実に4年ぶりの出演でございます。
どうぞよろしくお願いいたします。
さて、私に今まで痛ましい出来事があっただろうか?
あった。そんなものは誰にだってあるはずだ。
ただ、悲しいとか辛いと思う出来事は山のようにあっても生きていけないほどの痛ましい出来事は無い。
そして、心や体が痛んで、もう嫌だよ! と思っても自分以上に痛みを抱えた人はたくさんいるんだ! 何をほざいておる、このおバカが!
と考え、一旦ちゃんと落ち込んでから
よし、明日も笑顔で頑張ろう!
というポジティブシンキングが、今の私の生き方である。
文字にすると素晴らしいではないか・・・
ということを語ってもツマラナイ。
頭をフル回転させてみた。
私がまだ若くてお肌がプリップリだった少女の頃
夢があった。
将来の夢は、スチュワーデスか保母さん!
(年齢を推測しないでいただきたい)
あの頃の少女の答えはそんなもんだった。
母が24歳で私を産んだので
自分も22歳で大恋愛をし、23歳で結婚をして、24歳で子供を産む、ということに疑いを持っていなかった。
「私の旦那様はどんな人なのかな〜?」
と、夢見る少女そのものだった。
子供は色んなモノが見えていない。故に無垢だ。
「真弓ちゃん、それは夢にすぎないよ」
と言う大人もいなかった。私はしばらく夢を見ることができた。
しかし、大恋愛をするはずの22歳。
私は劇団山の手事情社の一員となった。
23歳の頃は己の才能の無さに苦悩し、
24歳になった時には更に自信を無くした女となっていた。
そして現在に至る。
もしもあの頃の少女真弓ちゃんが、22歳〜24歳の自分を見たらおそらく希望を失い、根暗な少女になっていたであろう。
今のポジティブシンキングな私を見ても、子供の私は今の私を理解できないと思う。
もしも、という仮定にはなるが
ー少女真弓ちゃんが大人になった自分を見た時ー
それが『人生の痛ましい出来事』を見てしまった時だろう。
それはもう、彼女にとっては悲劇でしか無い。
私の頭のなかは常にこのように思考が働いている。
その人間が創る作品を
どうか楽しみにしていただきたい。
水寄真弓
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『タイタス・アンドロニカス』『女殺油地獄』、両作品が「悲劇」であることにちなんで、「私と悲劇」をテーマにした稽古場日誌を連載中です。
それぞれの生活感あふれる「悲劇」をどうぞお楽しみください。
『タイタス・アンドロニカス』『女殺油地獄』公演情報
https://www.yamanote-j.org/performance/7207.html