稽古場日誌

先日稽古の帰りに電車に乗っていたときの出来事。
混んでいる訳ではないが座席は全て埋まっており立っている乗客もちらほら。私も扉付近に立っていた。今日も疲れたなぁと壁に寄りかかりながらボーっとしていたら電車が軽く揺れ止まった。大きな事故が起きたという訳では無くその後も電車は問題なく運行したのだが、揺れの影響で私のすぐ近くの座席でうたた寝していた乗客が握っていたスマートフォンを落とし、私の目の前の床を滑っていった。他に気づいている人もいなさそうだったので、拾い上げて落とし主に返そうと軽く肩を叩き呼びかけた。目をさましたその乗客は混乱した様子で目の前のスマートフォンをまるで奪い返すように受け取り、ちょっと私と距離をとってまたうずくまる。
なんともリアクションが激しく私も驚いて惚けているとなんとなく周りの乗客の視線が集まっているのに気づく。相手が若めの女性だったこともあるのか、まるで私が何かいけない事でもしたかのような空気が流れてしまっていた。かなり気まずかったがここでこの場所から離れたらなんとなく負けだなと思いその場に立ち続けた。間も無く私が降りる駅に到着したので降車。結局落とし主はうずくまったままで電車内に流れた気持ち悪い空気は拭えずじまいとなってしまった。
大した事では無いし別にお礼を言ってもらいたいわけでもなかったが、どちらかといえば善行をした結果こうした後味が悪い思いをするはめになるとはなんだかついていない。
しかし改めて電車というのは人との距離感が日常とは変化する空間だと認識。ラッシュ時には普段絶対他人とはとらないであろう距離まで密着する。日常の感覚をある種鈍らせなければとてもじゃないが我慢できないだろう。逆に話し声、匂い、体温、マナーなど普段あまり気にしない些細な事に敏感になってしまうことも多々ある。落とし物には気づかなくても不穏な空気はちゃんと感じ取る。
普段当たり前すぎて気づかない現代人、というよりは東京独特の生理感覚、何か芝居で生かせないかなあ。

田中信介

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『タイタス・アンドロニカス』『女殺油地獄』、両作品が「悲劇」であることにちなんで、「私と悲劇」をテーマにした稽古場日誌を連載中です。
それぞれの生活感あふれる「悲劇」をどうぞお楽しみください。

『タイタス・アンドロニカス』『女殺油地獄』公演情報
https://www.yamanote-j.org/performance/7207.html

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