稽古場日誌

つい先程、久しぶりに会った親しい友人に、こう言われた。
「なんであなたは、自分から悲劇に突っ込んでいくの!」
芝居の話ではない。私生活の話だ。

前厄、本厄、後厄のせいにしたら、
「厄は関係ないよ! もはや気質だよ」と。

どうやら私は、険しい方を選び、更にそれをこじらせる傾向にあるようだ。

中学の部活選びで演劇部ではなく、美術部に入っていれば、こんな苦難の道には辿りつかなかった。

高校を卒業間際にして演劇の道を選ばなければ、今頃家庭を持って、何人かの子供の成長を見守っていたかもしれない。

そもそも好きでもなかったお酒を、付き合いで無理に飲み続けなければ、当時付き合っていた恋人に路上で土下座する過去もなかっただろう。

いつの頃からか、無意識に自分を破綻に追い込む癖が生じているとしか思えない。

こんな私にも理想はある。
ささやかな幸せだ。

信頼できる人達に囲まれ、時間に余裕を持って心穏やかに暮らしたい。
人生の設計を立て、不安の無い生活を送りたい。
ちょっとした高価な買い物を臆せずにしてみたい。
大好きな人に、同じテンションで手を握って欲しい。
穏やかな体調を維持したい。

ところがどうだ。
情緒不安定。
ノータイム。
ノープラン。
ノーマネー。
ノーハンドタッチ。
ノーヘルス。

でも、人間の人生にノーストレスはありえない。
私は、地味に過剰に心をバタつかせている。

なぜ、自分を悲劇に突っ込ませていくのか?
多分、自分の衝動が「悲劇」を求めているのだ。
ジタバタして大泣きし大笑いする事で、自分の生を感じ、一度しかない人生を激しくしたい。

「悲劇」と「喜劇」は表裏一体。
そんな訳で、私の心はいつも忙しい。

こんな私に誰がした?

幼馴染の母に言われた事がある。
「保育園の頃から、飄々としていたね」
4歳で飄々としている女が、すでに悲しい。
誰のせいでもない。

もういい。わかった。
突っ込んでやる。
「悲劇」によって私は、とんでもない配色の道を進んでやる。

辻川ちかよ

写真は、稽古場近くの居酒屋「油屋」さん。『女殺油地獄』の舞台も「油屋」

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『タイタス・アンドロニカス』『女殺油地獄』、両作品が「悲劇」であることにちなんで、「私と悲劇」をテーマにした稽古場日誌を連載中です。
それぞれの生活感あふれる「悲劇」をどうぞお楽しみください。

『タイタス・アンドロニカス』『女殺油地獄』公演情報
https://www.yamanote-j.org/performance/7207.html

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