稽古場日誌

私が今回演じるのは、「同行衆」。
お葬式なんかに寄り合う、同じ宗派の近所の人たちです。
もちろん動きはクネクネピタッと、山の手名物《四畳半》。
私にとっては生まれて初めての四畳半。
「わ〜、どうやってあの動きをするのかしら〜」と、入団してからある時期まで、ちょっと他人事のように先輩方を見ていました。
そして女殺油地獄の稽古が本格的に始動して、私はびっくりすることになるのです。
どなたも四畳半を教えてくれません。
いえいえ、もちろん「ここはこうした方がよろしいでしょうか」とお聞きすれば、先輩方はこぞって教えてくださいます。
ですが、「四畳半のレッスン」という時間が大々的に設けられている訳ではなかったのでした。

例えばバレエなら、脚のポジションは「1番」「2番」と決まっていますし、タンデュやシャッセなどの動きのレッスンを死ぬほど繰り返して「型」を身につけます。グランバットマンなら、グランバットマンですし、アティチュードならアティチュードです。プレパレーションから、トンベ・パドブレ・グリッサード・ソデシャ。美しい型は、世界共通です。私はそっち出身だったので、日常生活にはない異質な「型」を作りまくる四畳半にも、そのようなレッスンがあると思い違いをしていました。
少しでも身体を動かす経験をされた方なら、あのクネクネがどれだけ難しい動きなのか、容易に想像出来るでしょう。
そして、どのようなレッスンをしているのか、たいへん気になるでしょう。
無いのです。無かったのです。無いのだ!
オーマイガッ!

では、なぜレッスンの時間が設けられていないのか。
「四畳半は発展途上の技術」だからなのです。
要するに、劇団の誰も四畳半というものを完成させてないのです。
最低限のルールはあるものの、その人なりの美学に基づく、その人なりの四畳半をもってして、山の手事情社のお芝居は確立されていたのでした。
「正解なんて、ないんだぜ」という先輩方の声・・・。
あんなに美しい型が、いってしまえばその場その場の即興で編み出されているなんて。
私は愕然とするばかりなのでした。

芸は盗めと申しますが、これこそその真髄ではありませんか。
私はこの四畳半の稽古は、能楽師や狂言師の方々の稽古方法と、なにも変わらないと思うのです。
本当に、誰も、教えてはくれません。
見よう見まね、見て盗め、です。もう先輩方を見るしかない。感じるしかない。そして、ああでもないこうでもないと、四畳半のことを考え続けるしか。
見ためは「筋トレいっぱいやってんだろうな〜」といった印象でしょうが、山の手の俳優に与えられていた課題は、相当に哲学的なものなのでした。

「お前の美学は、どういう型を編み出しているんだい?」
芸能の神様に、日々見張られているような心境です。
入団1年目、初舞台。
私はどこまで《四畳半》できるかな。

鹿沼玲奈

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『タイタス・アンドロニカス』『女殺油地獄』公演情報
https://www.yamanote-j.org/performance/7207.html

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