稽古場日誌

オセロー/マクベス 斉木 和洋 2024/11/29

演出ノート覚書

現実に困難を抱え、夢に破れたある人物が、 『マクベス』の物語を悪夢として回想している。悪夢のなかに閉じ込められている人間の悲劇。
いまのところ、そのように仮定して創作を進めています。

『マクベス』は、将軍マクベスが「将来は国王になる」という魔女の預言を信じ、妻と結託して王を殺害し王位に就くものの、妻は狂乱のうちに自殺し、自身も先王の息子たちの軍によって討ち果たされ、命を落とす物語です。

果たしたい夢があった、野心があった、欲望があった、志を持っていた男が、何らかの理由でそれを叶えられない現実に直面し、その強い気持ちや思いが悪夢として舞台に広がっている。

心のなかの深いところで、自分を叱咤激励してほしい、自分に優しく寄り添ってほしいという気持ちがマクベス夫人として具象化し、自分が秘かに欲望していた地位や憧れ、尊敬や愛情が先王ダンカンとして具象化し、代々の国王を継ぐと魔女に預言された友人への嫉妬がバンクォーとして具象化している。

ある男の生み出した妄想がマクベスを生み、マクベス夫人を生み、ダンカンを生み、バンクォーを生み、その他の登場人物を生んだ。

つまり、マクベスはマクベス夫人であり、マクベス夫人はマクベスである。
マクベスはダンカンであり、ダンカンもまたマクベスである。
他の登場人物たちも、以下同文。

『マクベス』という物語を借りて、ある人物の心象風景を舞台上に結晶化する。
七人の俳優が、『マクベス』という悪夢を見ている一人の人物を演じている。
そして、その人物の悲劇を悪夢が救っているのではなかろうか。

そんなことを考えています。

演劇における「悲劇」は、個人の目線で見ると耐えられないような悲惨の出来事を、悲惨な物語へと変えてくれる。
許せない、耐えられない、他者を傷つけたくなるような気持ちが集まると、それは怨念に変わる。
「悲劇」には、その怨念を祓い、私たちの心を少しだけ軽くしてくれる力がある。
「悲劇」は、私たちにより広い視野、より高い視点、より深い洞察を私たちに与えてくれ、私たちを少しだけ賢く、優しくしてくれる。

悲劇の起源は、今から2500年も前にさかのぼります。
ギリシャのアテネで開催されていたディオニュソス祭。
ディオニュソスの像を御神輿のようにかついで市中を練り歩き、野外劇場に安置したのちに、朝から晩までお芝居を上演したそうです。
演劇はかつて、神へ向かって歌と踊りを披露する神事であり、祈りを捧げる儀式だったのかもしれません。

この形式から、登場人物の言葉を語る者が現れ、セリフが生まれ、俳優が生まれました。
そして、その言葉を聞く者が現れ、相手役が生まれ、対話が生まれ、一人だった俳優が二人になり、三人になりました。

私たちが今、目にしている演劇はこうして生まれたのです。

神々への祈りから始まり、一人の俳優から、二人、三人へと増えていき、対話がはじまり、ドラマとなった現代の演劇を、古代のはじまりの演劇へと返していきたい。

ウロボロスの蛇のように、古代の演劇の尻尾をつかまえて、演劇がはじまったころにあったと夢想する巨大なエネルギーを現代とつなげたい。
私はそんなことを思って、日々創作をしています。

さあ、これを書いている今は、2024年11月26日です。
ここからどんどん変わっていくでしょう。
この演出プランが、果たしてどのように変化していくのか。

今回、シェイクスピアの四大悲劇のうち、『オセロー』と『マクベス』を上演します。
私は『マクベス』を演出します。
ぜひ2作品ともご覧になって、実際の舞台をお楽しみください。

斉木和洋(『マクベス』構成・演出)

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劇団 山の手事情社 二本立て公演
『オセロー』『マクベス』
日時=2025年2月21日(金)~25日(火)
会場=シアター風姿花伝

詳細は こちら をご覧ください。

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