稽古場日誌

オセロー/マクベス 宮﨑 圭祐 2024/12/17

宮﨑の四大悲劇

『オセロー』と『マクベス』はどちらもシェイクスピアの四大悲劇と呼ばれる大作である。あとの二つは『ハムレット』と『リア王』だ。今回はそこにちなんで、宮﨑圭祐の人生の四大悲劇を書いていきたいと思う。

最初の悲劇は赤ん坊の頃に起こった。父はCABINのタバコを吸っていたのだが、フィルターの部分が茶色く、まるでお菓子のように見えた。僕はおもむろに灰皿から吸殻を摘んだ。『ハムレット』ではハムレットが毒を宿敵に飲ませるのだが、僕は自分でタバコを飲んでしまい、顔が白くなり倒れてしまった。すぐに緊急搬送され、手術で体内からタバコを取り出して一命を取り留めたが、後もう少し食べていたら僕はこの世にいなかったそうだ。その日から僕にとってタバコは毒の缶詰となった。

二つ目は園児の頃だ。その日は土砂降りの雨が降り、家の近くの用水路が激しく荒れ狂っていた。僕はその様子を近くで見ようとして、足を滑らせ用水路に落下してしまった。『リア王』でリアが牢獄に囚われた様に、濁流に囚われた。流されながら精一杯泣き叫ぶ僕。すると近所の大人達が総動員で僕を救い出してくれた。その日から僕は流れるプールが嫌いになった。

三つ目は小学生の頃。当時は母方の祖母の家で、母の親族と遊ぶのが好きだった。祖母の家にはやたら大きく硬い机があり、角が木刀の先端の様に尖っている。僕ははしゃいで頭を思い切り後ろに振って、その硬い角に後頭部をぶつけてしまった。『オセロー』でイアーゴーという男が「あいつの頭をかち割るんだ」と言う場面があるが、僕の頭はかち割れてしまった。気分を害されると思うので詳細は省かせていただくが、その時は意識が朦朧とし、痛みも感じなかった。人生二度目の緊急搬送からの緊急手術、僕は自分が手術されている姿を天井から見ていた。あれが夢か幽体離脱だったのかはわからない。その日から僕の頭はやたら頑丈になった。

そして最後の一つは26歳の時分に起こる。友人達と海へ遊びに行ったのだが、友人の1人が沖まで泳いでみようと言い出した。僕は泳ぎが得意ではないので躊躇していた。その時、僕が好きだった女の子が沖まで行けたらカッコいいと言い出した。その声はまるで『マクベス』で魔女がマクベスにかけた言葉の様に僕の脳内に響き、僕は友人と一緒に沖まで泳ぐ事を決めた。
沖に行くにつれ足がつかなくなってきて、上手く泳げず、岸へ帰る事もままならなくなってしまった。口へ海水が入って息継ぎが出来ず、体も疲れ果て、水を掻く手の力が抜けていく。ここで死ぬのか。明日、また明日また明日と人生最後に記録される瞬間を目指して進んだ僕の時はここで終わるのか、意気揚々とカッコつけてこの様、なんて惨めなのだろう。絶望しかけた瞬間、脳裏に好きな子の顔が浮かぶ。まだ死ねない、マクベス夫人を想うマクベスのごとく力を振り絞り、息継ぎも忘れてクロールする。気がつくと僕は浜辺で寝転がっていた。その日から僕はどんな困難であっても諦める事を諦めた。

以上が宮﨑圭祐の人生の四大悲劇とその顛末である。一つ一つ苦い思いをしたが、今ではタバコを燻らせる日もあれば、旅行で川に飛び込む時もあり、頭をぶつけても傷一つつかず、ダイビングをしてみたいと思う日さえある。様々な悲劇が僕を強くしている気がする。

四大悲劇の主人公達は皆死んでしまうのだが、その過程で友人や家族、恋人が死んで、自らが引き裂かれる様な思いを味わう。もし彼らが悲劇を乗り越え生き残ったのならば、僕とは比較にならないほど凄まじい強さを手に入れていただろう。この世界に生きる人達は皆、悲劇を乗り越えると新たな強さを手に入れる。そう僕は信じている。だからこそ観た人全員が困難に立ち向かえる様に、胸の内からパワーが湧いてくる様な作品を作りたい。そんなことを考えながら、今日も僕は『オセロー』に挑む。

宮﨑圭祐

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劇団 山の手事情社 二本立て公演
『オセロー』『マクベス』
日時=2025年2月21日(金)~25日(火)
会場=シアター風姿花伝

詳細は こちら をご覧ください。

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