稽古場日誌
劇団に入団する前のことですが、祖母が亡くなりました。わたしは幼い頃からその人が苦手で、上手く甘えられた記憶がありません。だからという訳ではないのですが、祖母が亡くなる前に病院へ見舞ったことがなく、危篤ですと連絡を受けて初めて病院へ行ったのでした。久しぶりに対面した祖母は、記憶に残る姿よりとても小さく小さくなっていました。亡くなって初めて、「この人に戦争の話を聞くべきだった」と後悔しました。そして「この人に何もできなかったなあ」とぼんやり感じました。
当時わたしは一般企業に勤め、慣れない仕事にもみくちゃになりながら働いていました。仕事自体は尊いものだったと今でも思っていますが、当時のわたしにとってその仕事は生きがいとは言えず、あまり幸せと感じていませんでした。
「こんな状態で、祖母のことを遠く感じてしまう自分の人生って、なんなんだろう……。人はいつか死んでしまう、わたしもいつか死んでしまうんだ……」漠然とした不安が心を支配していきました。
3.11の記憶もまだ新しい頃で、仕事中、激しく揺れる高層ビルで被災したことも祖母の死と重なり、死はいつか訪れるものという感覚が湧いてきました。その頃から、「やりたいことをやって死にたい」「後悔を残したくない」と思うようになり、数年後、山の手事情社の門を叩きました。
わたしは死ぬのが怖いです。自分は一人ぽっちで死ぬだろうと思っているからです。「好きなように生きてきた自分が誰かに理解してもらえることはない、だから一人で死ぬのは仕方がないのだ」そう思いながら生きてきました。でももっと恐ろしいのは「この命は意味のあるものなのか?」「この人生は失敗なのではないか?」と、ふと頭をよぎるときです。
『マクベス』について考えていると、これらの不安がよみがえります。
友人や上司に恵まれ、大切な妻もいるマクベス。仕事でも認められ、一人の軍人として正しい人生を歩んでいたと言える彼が、自らの手ですべてを破壊し、破滅していく……。「トゥモロースピーチ」はまともに聞くと、あまりにも辛く悲しい台詞です。
こんな風に思うのは不謹慎かもしれませんが、マクベスがマクダフによってその一生を終えることは、彼にとって救いだったのではないでしょうか。人生をかけて築いてきた将軍としての誇りを最後に賭け、破れていくのです。その瞬間のマクベスは、自分の人生を取り戻しているようにも見えます。そして彼の姿は戯曲に書き留められ、460年もの間、演じられているのです。そのことは少し羨ましいような気がします。
人間はいずれ消えてなくなります。物質的にも誰かの記憶からも、いつかは。そのことをみんな分かっていて恐れていて、だから祈るように演じるのかもしれません。「わたし達の生には意味がありますように」と。
ところで祖母は和裁・洋裁の先生でした。祖母が自ら作った着物やワンピースがたくさん残っており、今はわたしの手元にあります。可愛らしい色や柄の布地を眺めていると、わくわくとときめいてきます。「今日は何を着よう?」 「これを着てどこへ行こう?」 その気持ちは戦後まだ若かった祖母も同じだったのではないかと、年齢を重ねてようやく気づけるようになりました。
演劇はワンピースのように形には残りません。それでも、わたし達の営みもどうか、ご覧になる方の心に寄り添い、楽しんで頂けるものになりますように。今日も祈るように『マクベス』のことを考えます。
松永明子
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劇団 山の手事情社 二本立て公演
『オセロー』『マクベス』
日時=2025年2月21日(金)~25日(火)
会場=シアター風姿花伝
詳細は こちら をご覧ください。