稽古場日誌


仕事終わり、ワークキャップを被り足早に向かったのは山の手事情社アトリエ、いや”旧”山の手事情社アトリエだ。ほんの数ヶ月まで通っていたこの箱の様な形の3階建て。あれほど芝居の活気と良くも悪くもプレッシャーを放っていた場所が、今は眠りについた様に静かに佇んでいた。
今回はこの山の手事情社アトリエについて少し語りたい。
まず僕が初めてアトリエを見た時の第一印象だが、元々ガレージとして使われていた建物なだけあり、町工場然とした佇まい。芝居の稽古場には見えず、「劇団 山の手事情社」の看板が無ければ素通りしてしまうかもしれない。しかし中に入れば紛れもなく芝居の稽古場である。様々な小道具、大道具、膨大な本、歴代公演のDVD、劇団員の熱量ある喜怒哀楽、一見狭く見える建物に演劇的要素が凝縮されている。この小さなアトリエで様々な作品が海外にまで飛び出しているのだと思うと、建物の形も相まって宝箱の様。いや、何が飛び出すかわからないビックリ玩具箱と言った方が良いのだろう。
ここでの一番鮮烈な思い出は、アトリエ1階を劇場として行われた、僕の山の手事情社初舞台にして初一人芝居『夢十夜』だ。創作はかなり難航して、作品が全然面白くならない、ひたすら芝居が空回り、演出からの叱咤激励の土砂降りも浴び続け、泥の中の様な重く窒息しそうな日々。何度も辞めようという気持ちが大群となって押し寄せる。そんな中救いとなったのはやはり先輩達の存在だ。先輩の芝居を見学したり、宮﨑の芝居面白くなってきたよ等の励ましの言葉をいただいたり、やる気と勇気をもらい、どうにか作品が形になってきて、本番に乗る事が出来た。
公演期間中は、口からあらゆるものが内臓ごと出そうな程に緊張していた。舞台にはコロナ対策のビニールカーテンが貼られて怪しい芝居小屋の様。満員のお客様が迫ってくる。そんな中、汗で濡れて風呂上がりの様になりながら、稽古して積み上げた世界を展開していく。刹那の間も息の抜けない舞台だったが、同時に世界が躍動していく気持ちの良い感覚を堪能した。客席からの笑い声や終演時の拍手も心に染み渡る。打ち上げの時に劇団員の暖かい感想を聞いて、僕は今初めてこの劇団の一員になれたのだと感動した。艱難辛苦の日々だったが、終わってみればお客様や劇団に育ててもらえたとても贅沢な時間だった。
他にも様々な思い出がアトリエには染み付いていて、とても語り尽くせない。他の劇団員もきっとそうだろう。
今回の公演『葵上』稽古ではもうアトリエは使えない。いつもと大きく違う、今まで以上のピンチとも言える状況だが、だからこそ新しい山の手事情社公演を創る事が出来るのではないかと思う。もう私がいなくても大丈夫だよ、君たちの好きにやってみなさい。そうアトリエに言われている気がする。
心の中でさようならを言い、僕は旧山の手事情社アトリエを後にする。来る3月、下北沢で打ち上がる山の手事情社休止前の最後の花火。そのひとひらとなる為に。
山の手事情社と『葵上』がどんな化学反応を起こすのか、是非劇場にてお確かめ下さい。ご来場心よりお待ちしております。
宮﨑圭祐
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劇団 山の手事情社 公演『葵上』
日程=2026年3月3日(火)~8日(日)
会場=小劇場B1
詳細は こちら をご覧ください。