稽古場日誌

外部活動 倉品 淳子 2016/11/04

「BUNNA」という作品

2015年・福岡で初演した本作。今年は全国ツアーだ!(といっても、横浜と大阪の2都市でしたが…。)ということで、意気揚々と始まりましたが、山あり谷ありの大変な、しかし、とても気づきの多い公演となりました。

この公演は、身体的にバラエティあふれるひとたちの演劇公演という但し書きがついています。再演するにあたって、初演で活躍した二人の身体に障がいを持つ俳優が出演できなくなる、という経緯があり、オーディションでその2つの枠を決めました。
障がいを持つ俳優のオーディションなんて、全国的にもあまり聞いたことがないし、盛大にやりたいと考えていましたが、なかなか応募者が集まりません。

オーディションの数日前に、主催のニコちゃんの会の代表が、学校や作業所などに足を運んで口説いてまわるという一本釣り作戦で、当日は8名の応募者でオーディションはなんとかかたちになりました。

シニア女性のオーディションは70名の応募があったのに、身体に障がいがある方だと8名! 現在日本では、全人口に対しシニア女性の割合が約10パーセント、身体に障がいがある方は約3パーセント。ということは、20名くらいは来てくれてもいいのでは! と思っていました。

これには、3つのバリアが考えられます。まず、情報自体が当事者に届かない、という情報のバリア。次に当人が自分にはできないのではないかと思ってしまう。または、先生や親がこの子にはできないと思ってしまう、心のバリア。そして、来たくても車がないとか、その場所にエレベーターがないなどの物理的なバリア。これはあるNPO法人の方が言っていたことです。なるほど!

ところが、このオーディションは非常にレベルの高いものでした。参加することへの意識が高く、表現衝動が大きいと感じられる方々ばかりでした。とてもとても刺激的な面白い時間でした。実際2つの枠に5名の最終選考者が残り、困難を極めました。

苦渋の決断で二人の出演者を決め、稽古が始まると、日本で演劇をやるための3つの苦難が待っていました。

まず場所の問題。
日本で演劇を作る場合、決まった稽古場がなく、いろんな所を使うことが多いのです。このため、必要な道具をいちいち移動させたり、稽古場に劇場のサイズを取ったりする労力と時間が必要になります。決まった稽古場や劇場があれば、もっといろんなことにその力を注げるのに!!

次に時間の問題。
特に地方にいる俳優たちの多くは、本業を持っています。これは、日本で演劇が職業として考えられない状況があり、演劇では食えないわけです。ですから、本業に何かアクシデントがあれば残業しなければならない。つまり、稽古場に行けない。俳優が一人でもいなければそのシーンの稽古は進みません。これは、世界的にみても文化度の低い恥ずべき問題だと思います。

最後に意識の問題。
上記の状態もしょうがないと思っている。なんとかなるだろう、誰かがなんとかしてくれるだろう、と思っている意識の低さです。これは、素人に近い俳優が多いのです。仕方がありません。

これらの問題と戦いながら、なんとか稽古を進めます。しかしなかなか納得のいくコンセプトにたどり着きません。そうなんです。初演の時は、コンセプトさえはっきりしていなかったんだ! という事にいまさら気がつきます。

それは、ツアー出発をわずか10日に控えた日。その日は、俳優が集まらず稽古にならなかったため休みになりました。ニコちゃんの会のサポートメンバーの一人に、「なんだか、芝居が面白くなるように思えないんだよ。」とこぼしたところ、彼女から思いもかけないシーンの提案がありました。それは、彼女が、日々、ヘルパーの仕事をしながら思っていることがもとになっています。それを聞いた私は、間に合うか間に合わないかぎりぎりのところですが、かけに出てみることにしました。

後半の重要なシーンをそっくり入れ替えました。上演時間1時間半の芝居の15分間を入れ替えたのです。

それから、コンセプトが見えてきました。現代の私たちが感じている、人と人が分かり合えない感。身体に障がいがあり、言語という手段が限られていればなおのことです。そして、そのコンセプトと『ブンナよ木からおりてこい』のテキストがつながってきたのです。

紆余曲折の中に初日がきました。本番の1時間半前に、この公演の応援のために高座を引き受けていただいた、入船亭扇辰師匠にはじめて入っていただきます。(演劇の世界では考えられないことですが、伝統芸能の世界では、寸前に申し合わせをして本番、という流れが普通なのだそうです。)ここで、初めて、芝居の全体が見えるという! しかも、出演者はみなほとんど素人です! 大丈夫か!!

そして、初日の舞台には、当然予想できたであろう、彼らにとっては少々きつい試練が待っていました。お客様の中に、知的障がいのある少年がいました。仮に彼をAくんとします。Aくんはお芝居が見られることに大喜びで、かなり大きな声で、笑ったり、何かをつぶやいたりしていました。
本編が始まる前、まずは、扇辰師匠の落語『天狗裁き』。さすが師匠の対応は見事でした。Aくんの笑い声や、つぶやきにまったく動じるわけでもなく、かと言って話しかけるわけでもなく(もし話しかけていたら、Aくんは喜びのあまりテンションマックスになり、さらに大騒ぎしてしまっていたことでしょう)ゆったりと、しっかりと話を続けていました。私は、急いで出番を待つ俳優のところへ走り、このようなお客様がいるということ。師匠を手本に、稽古通りやりましょう。と声をかけました。

初日ですから、少し緊張しているものの、大きな問題はなく芝居が進み、声を発することのできない青年役の俳優が歌いだすという重要なシーン。大きな静寂ではじまるはずのシーンで、彼は叫び始めました。「スイッチオン」と何度も叫んでいます。それは、寸前のシーンでの母親役のセリフでしたが、動けない青年俳優に「動け!」と言っているようにも聞こえ、生の演劇でしか味わえない面白いアクシデントでありました。

しかし、もし、Aくんのような反応をするお客様が、もう一人いたら? 私たちにそれを許容するだけの強度があるでしょうか? 大変な思いをして作ったお芝居、命を削るようにして必死に演じているこの作品も、その強度がなければ、意味のない退屈な時間に変わってしまいます。一言に障がい者といっても、ひとりひとり違います。本当に違います。私はなるだけたくさんの人にこの作品を見てもらいたいと思います。判断が非常に難しいところではありますが、もし、芝居が壊れると判断したら、退出をお願いするでしょう。それは、私の俳優への責任であり、お客様への責任だからです。しかし、そんなAくんだって、お客様の一人に違いない! 答えは出ません。

なんだか愚痴ばっかり書いてしまいましたが、彼らとの作業はとっても刺激的でした。こんなことやって、芝居が面白くなかったら「なんでこんなことをお年寄りにさせるんだ!」とか「まるで、虐待じゃないか!」と言われてしまうんじゃないかと内心ひやひやしていました。皆様に、お喜びいただき、あまり反感を買わなかったようで、良かったです。

問題意識も、今まで見たことのない興奮する芝居も、続けていかないと出てこない。なんとか、新しい演劇に向けてこの活動を続けていきたいと思っています。

倉品淳子

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