稽古場日誌
オイディプス@Tokyo 中川 佐織 2016/12/14
作中「父を殺し、母と交わり子をなす」とオイディプスが授けられる神託は、ただの神話なのだろうか。現代の私たちも実は依然として強固な神託に縛られているのではないか。劇団員が自分にとっての神託を語ります。
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祖母が亡くなる数日前、 病室で母と私で祖母の思い出話をしていた時の話です。
その内容は、今思えばまさに「神託」 だなという祖母の言葉がありました。
幼少の頃です。
私はある時ヴァイオリンをやりたいと母に言ったそうで、
そんなお金のかかることを母や父の判断ではやらせれないため、姑である祖母に相談したそうです。祖母は、こう言いました。
「そんなんで身上潰しはった人おるからほどほどにしておきや」と。しかし、 やさしい家族は末娘の思い付きを叶えてくれました。
そんなことを言っていたとは知らない3歳の私は、結局、音楽大学まで卒業して、音楽の道には進まず、さらに演劇を始めているわけです。
またある時、別の「神託」がくだされました。
28歳の私は、 痴呆になった祖母が入院している施設にお見舞いにいきました。
もう祖母は、私が誰かもわからない状態です。
私はそれでも祖母に、自分の近況報告をしました。
ふと、あ、そういえばまだ結婚していないなと頭によぎり、 祖母に「私、結婚できるかなぁ?」 と冗談交じりで聞いてみました。
すると、さっきまでぶつぶつと言葉にならない言葉を言っていた祖母が、ぴたりと止まり、無言。
何も言わない。
「え、ど、どっち?」と思わず聞き返しましたが、無言。
そのうちに、口をくっちゃくっちゃしだし、私は気のせいなのかと話題を変えると、どうでしょう? また、ぶつぶつと言いだすじゃないですか。
その時、一緒に姉もいたので、今度は姉の見ている前で、「私、結婚できないのかな?」と聞くと、ぶつぶつの呟きが止まり、また無言。
「いや、だから、どっち?」と、必死に聞き返しましたが、無言。
それから、祖母が他界して数年。
今だ、あれがどっちの「神託」だったのか、謎に包まれています。身上のことも。
それが分かるのは、あと何年後なのか?
私の「神託」=祖母の言葉なのか? どうなのか?
答えは、劇場で・・・。
(そんなシーンはありません)
中川佐織
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若手公演「オイディプス@Tokyo」
2017年2月23日(木)~26日(日)
すみだパークスタジオ倉
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