稽古場日誌

オイディプス@Tokyo 研修生 2017/02/19

恐ろしく、美しい

研修生の喜多京香です。3日間に渡る、若手稽古の見学を終えたのですが、とにかく、いろんな意味で恐ろしいです。

私は山の手事情社を知ったのが去年の今頃で、本公演を生で観たことがありません。
山の手事情社独特の演技スタイル《四畳半》を、今回の稽古場見学にて初めて間近で見ました。
そして今回は、私がギリシャ神話の中でも唯一、ミステリアスであり、悲劇的で読んでいて苦しいと感じていた『オイディプス王』です。

《四畳半》は、会話の中で、相手が発した言葉に対して揺れ動く感情が身体に溢れ出て、それから言葉として反応する。
この流れの中に、俳優の繊細な考えや力強さが伴っていて、それを駆使していく作業がかなり難関なのだと感じました。

そして今回考えさせられたことがあります。
《暴れ稽古》と呼ばれる、ひたすらのたうち回り、暴れるという稽古があるのですが、研修生の稽古でも一度行われました。
1人前に出て、おかしな顔をして、変な方向に身体をくねらせ、わけのわからない発言をしながら暴れ回る。
それを見ている人はケラケラと笑い、楽しくてしかたないが、やる側は地獄。そんな印象の稽古でした。
しかし、見学の際に、オイディプスにちなんだ《暴れ稽古》を見て、この面白いはずの姿を、人が苦しんでいる姿に置き換えていました。
もちろん最初は、面白くて笑っていたのですが、後々、きっと海や川で溺れたり、痛みに耐えられなかったり、苦しい時の身体の状態って、笑っちゃうような姿なのではないかと、怖いことを考え始めました。

私の中では、台詞の言い方や俳優の動きが、まるで壊れて狂った機械を見ているかのようでした。
それが生々しく、恐ろしいのです。キツい位置で身体を止めたり、良からぬ方向に身体をねじるような場面もあり、その身体は、苦しさを必死に表現しようと、小刻みに震えていました。
そのような、生々しさや、身体が悲鳴をあげている状態を、私は美しく思います。
本番が楽しみで待ち遠しく、私もまた何か一つ、新しいものが掴めたらと、期待しています。

喜多京香

稽古場日誌一覧へ