稽古場日誌

Anniversary 倉品 淳子 2017/03/14

表現者たち

先日、といっても、もうだいぶ前の事ですが、研修生修了公演の稽古を見学に行きました。この日は、初めての通しということで、研修生担当の浦さんも研修生も緊張の面持ち……。
山の手事情社の修了公演は例年、劇団員がその演出を担当するのですが、一般的な劇団のそれと大きく違うことがあります。

それは、台本のない、オリジナル作品だということです。

私も、うん十年前に、福岡の劇団の研究生だったころ、卒業公演というものをやりました。「ブンナよ、木からおりてこい」という台詞劇でした。その作品はもともと水上勉の小説を青年座が脚色して上演したもので、演劇学校やら養成所やらの卒業公演によく使用されています。
私はこれを凡庸だと批判するつもりは全くありません。実際、その経験は私の記憶に鮮烈に焼きついていますし、台本を成立させる技術は、俳優にとって最も必要なものです。
ただ、日本の演劇界に台本至上主義というものが根深くあるのは事実です。

例えば。

有志で、演劇がやりたいということになります。まず、図書館に行って、面白い脚本を探します。ちょっと面白い作品があります。「あれ? でも男子の数が足りない。〇〇ちゃん背高いから男役できるんじゃない? 無理か……」と諦めます。「じゃ、誰か脚本書いてよ!」となります。しかし、いい脚本を書く才能と根性を持ち合わせた人がその座組にいる可能性は非常に低く、演劇をやりたい気持ちもだんだんなくなっていきます。

ってことが!  ありますよね!
貧しくないですか?
私はこれを演劇的貧困と呼びたい!

私は俳優である前に、表現者でありたいと思います。表現者は何をするのか?
「自分の身体を、心を見つめ、それを捉え直し、社会との関係を見つめ、そこからテーマを見つけ出し、その結論を自分自身の衝動とともに、表出する」
そういう作業だと思います。

今、山の手事情社の研修生とその担当は、その苦しくも興奮する作業の渦中にいます。

通しの寸前に、まるで壊れた人形のように、何度も共演者にうなづきかける者。
まだまだできたばかりの激しいダンスシーンに、向こう見ずに飛び込む者。
通し終了後、別のスタジオから大きな音がする。どうも、誰かが物に当たっているらしい。
通しが終わった時間は、もう夜の10時だというのに、まるで、今稽古が始まったかのように、みな稽古場で、まだ見ぬ表現に立ち向かっています。

世界に一本しかない、彼ら自身が台詞を考え、彼らが自分の身体性を見つめて創った、彼らにしか成立しえない作品を、どうか見に来てください。

倉品淳子

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2016年度研修プログラム修了公演「Anniversary」
日程:2017年3月23日(木)~26日
会場:シアターノルン
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2017年度研修プログラム「俳優になるための年間ワークショップ」
オーディション開催中
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■年間ワークショップ参加者体験談
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