稽古場日誌

あたしのおうち 武藤 知佳 2019/02/23

『あたしのおうち』といえば!?

今年度の研修生修了公演のタイトル『あたしのおうち』。
なんかメルヘンじゃない!!
なんて思いながら、ふと私の頭の中をよぎったのは母だった。

うちの母は、ほぼ専業主婦で、子どもの頃家に帰ればいつも出迎えてくれた。
子どもたちがどんなに朝早く出かける日も、必ず朝ごはんをつくり見送ってくれた。
“あたしのおうち”にはいつも母が居た。
“あたし”の“母”は、世間的にはよい母親そのものだったのかもしれない。

でも、私に色濃く残っている思い出は、子どもの頃のピアノの発表会で緊張のあまり失敗してしまい母の機嫌を損ね数日間口をきいてもらえなかったこと、嫌だった塾に行くことを押しつけられ体調を崩し入院したこと、旅先で母のために一生懸命選び奮発して買ったお土産を「気持ち悪い!!」と一蹴されたことなど、理不尽だと思ったことが大半を占める。

私はこんな母のことが嫌いだった。私がもし母親になることがあるとすれば、自分の母のようにだけは絶対になるまいと心に誓ってきた。

山の手事情社には《ものまね》という稽古があり、定期的に個人発表がある。
先日、この課題に取組もうと、鏡を眺めていた。

鏡の中の自分を見つめていたら、なぜかふつふつと幼い頃の記憶が蘇ってきた。幼稚園に入る前の記憶である。
私はベビーカーが好きだった。近所のおばちゃんに笑われても、身体が大きくなって乗れなくなるまでベビーカーに乗りたいとせがんだ。
歩くのが嫌いだったのかと思われるかもしれないが、私は母と同じ速度で進めることがうれしかった。私がベビーカーに乗っていれば、母のペースで進むことができる。

私が幼稚園の頃の母はふわふわの長い髪の毛をしていた。私は母に憧れて、小さい頃ずっと髪を伸ばしていた。
幼稚園の先生より母が好きだった。毎朝幼稚園で泣いては先生に嫌われた。

そんな私もいつしか大人と呼ばれる年齢になり、自分で人生を歩み始めてみると、一丁前にいろいろな生きにくさに直面した。私の場合は、劣等感や無価値感との対峙が多かったと思う。そして、こんな苦しい思いをするのは私を抑圧してきた母の影響が大きいと思っていた。

山の手事情社の研修生になった時、親の猛反対を押し切って、一人暮らしをはじめた。本当によかったと思った。やっと母から解放された! と。

私は母のことが大嫌いだった……。
でも、鏡の中の私を見ていたら、ふと“母”から離れられなかったのは、“あたし”だったのかもしれないと思った。
“母”のことが大好きで、認めてほしくて、離れられなかったのは“あたし”だったんだ。

課題に取組もうと鏡を眺めていたはずが、今まで見過ごしてきた自分に触れた気がした。恐ろしいけれど心地よい時間だった。

創作を通して、研修生たちは自身のルーツに向き合う作業を繰り返していると思う。それは時に恐怖や痛みを伴うものかもしれないが、そのひとつひとつが『あたしのおうち』の旨味となるに違いない。

武藤知佳

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あたしのおうち

2018年度研修プログラム修了公演『あたしのおうち』
日程:2019年3月6日(水)~10日(日)
会場:大森山王FOREST
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2019年度研修プログラム「俳優になるための年間ワークショップ」
オーディション開催中
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