稽古場日誌

あたしのおうち 浦 弘毅 2019/02/27

私の俳優のルーツ

山の手事情社の研修生になったのは1996年、21歳の時でした。
それまでは銀座のビアハウス、BARでバーテンダーのアルバイトをしながらフラフラ生きていました。
当時の私は、サラリーマンになりたくない、やりたいことがない、だが素敵な世界がどこかにある。と夢見て頭の中で悶々としながら生きていました。

その当時はもちろん演劇を観たことなかったし、芸術という活動には全く興味がありませんでした。
若い時によくある考えかもしれません。価値観が個人の中にだけしかなく、それを否定されたり、関心を持ってもらえなくなってしまうとすぐにあきらめ、逃げてしまう、そんなダメな人間でした。

ある日、それに見かねた父が「お前は何になりたいんだ!」と強い口調で言われたことがありました。私は何故だかわからないのですが咄嗟に「俳優になってやるよ!」と反発したことを今でも覚えています(いまだになぜ自分がそう言ったのか不思議です)。

それから家で父に顔を合わすたびに「いつ俳優になるんだ?」と冗談交じりに言われたことに、異常に負けず嫌いの私の性格に火が付き、1年間で100本以上演劇を観に行きました。父親もまさか俳優になるなんて思っていなかったと思います。

劇場で演劇を観ても、まぁ~どれもそれなりに面白いし、それなりによくできている。だがそれに情熱をかけられないと思っていました。

そんなある日、偶然に山の手事情社『ドリフターズ』という公演を青山円形劇場で見たとき、それまで観た演劇とは全く違うものに出会いました。
感想から言うと「くそつまらない、なにをやっているのか全く分からない、スカシてる俳優がいる、なにが面白いんだ?」
本当にこんな感想ばかりでした。100本以上観た演劇のなかで初めての体験でした。

帰りの電車でこの怒りをどこにぶつければいいのかと、イライラしたことをいまでも鮮明に覚えています。
私の中ではかなりの衝撃だったのだと思います。それから数日そのことで頭がいっぱいでした。「どんな劇団なのか? どういう考えからこんな表現になるのか?」など気が付けば、怒りから、関心に変わり、そして負けず嫌いの性格からこの劇団に入って一番になってみたいと思うようになっていました。

これが私の俳優のルーツです。

こう文字に起こしてみると動機が不純すぎる。笑えてしまう。

それから劇団の研修生になったのですが、演劇を知らない私にとってこのような動機では長続きするはずがありません。なのになぜ20年以上も続けることができたのか?
本当に不思議です。
1つは山の手事情社は演劇集団であり、表現活動を最優先する集団なのですが、《山の手メソッド》には俳優に必要な稽古のほかに、人間が人間として生きていくために必要な能力(教養、社会性、人柄、歴史、人間観察、人間関係)をたくさん思考できる場所であることが、20年以上続けられたことなんだと思っています。

1年間の研修生期間はつらいことのほうが多いと思うのですが、生きていくためには絶対に経験しておいたほうがいい場所なのだと今でも思っています。

2018年度山の手事情社研修プログラム「俳優になるための年間ワークショップ」修了公演『あたしのおうち』是非劇場までお越しいただければ幸いです。

浦 弘毅

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あたしのおうち

2018年度研修プログラム修了公演『あたしのおうち』
日程:2019年3月6日(水)~10日(日)
会場:大森山王FOREST
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2019年度研修プログラム「俳優になるための年間ワークショップ」
オーディション開催中
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年間ワークショップ参加者体験談
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