稽古場日誌

ワークショップ研修生研修生稽古 研修生 2020/11/01

ほんものの遊び場、ほんとうの遊びゴコロ

はじめまして、2020年度の研修生の紫陽子(しょうこ)です。

集中的な演劇的身体訓練の必要性を感じながら、どこから手を付けていいのかわからず迷子になっていた私の目に、「劇団山の手事情社」という文字が飛び込んできたのは、ほんの数か月前のこと。

この記事を書いている今、研修生稽古が始まって数週間が経って感じていることを、徒然なるままに……

 

大人になって使う「遊び」という言葉には、いくつかのレッテルが貼ってあるように感じている。
ペタペタと貼られているそれらの中から、どのレッテル(意味合い)を選び取るか。
果たしてその吟味を、どれほどしてきただろうか……と、研修生稽古が始まってから感じている。

「私はきっと、子どもが遊ぶように駆け回りたいだけなんだと思う」
研修生稽古が始まるころに遭遇した、ある女優の方のこの言葉が、自分の思いに輪郭を与えてくれたように感じた。

たぶん、私は遊びたかった。
遊び場を求めていた。

真剣に遊ぶこと。
それは、劇団員の言葉を借りれば、「やるかやらないか、それだけ」ということに集約されているのかもしれない。

やる。
明日のこと、3時間後、1時間後はもちろん、1秒後、瞬きほどの暇のことも考えずに。

やる。
できるかどうか、できなかったらどうしよう、と考えるよりも先に。

やる。
うまくできたかどうか、振り返る習慣をかなぐり捨てるくらいに。

やる。
考える時間を自分に与えない、光ほどの速さで。

これが、半月ほどの稽古での実感。
子どものように、あるいは子ども以上に、真剣に遊ぶ大人―――本当の遊びゴコロをそう想像して、身震いする喜びを感じるのは私だけだろうか。

 

……と、思うままにこの半月で私が感じたことを書いてみました。
うまく書けたかな……と、つい考えてしまう自分の思考回路をかなぐり捨てないと。
「どんな感情表現も、どんな身体表現も、稽古場では基本的に許されてるので、安心して出しちゃってください」という、劇団員の言葉を盾にして、このへんで書き逃げすることにします。どろん。

紫陽子

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