稽古場日誌

その他 名越 未央 2020/12/21

聴く人

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新型コロナウイルスの出現によって、世の中から演劇をやる意義が問われております。
そんな中、今年も研修生が集まってくれました。その中には、それぞれに様々な理由や決断があったことでしょう。
そこで、今回の劇団員による稽古場日誌は「何故ワタシは演劇をやるのか」をテーマとして、今年度の研修生を応援していきます。
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耳を澄ませて声にならない声を聴く、私はそんな人になりたかったのだと思う。

昔から、何が不満だとか、何が欲しいとか、わがままに声をあげることに妙な躊躇があった。声を上げられない人の心の中のモヤモヤを掬い上げられるような仕事がしたかったから、カウンセラーとか保健室の先生とかになりたいと思っていたこともある。

それなのに、聴くより語る印象の方が強い俳優をなぜ選んでしまったのか。 妙な躊躇はいまだになくならず、稽古でも邪魔ばかりする。でも私は、声になる前の、文字で書かれたセリフに耳を澄ませるのもたまらなく好きなのだ。

この役は、何を考えているんだろう、どんな風に生きてきたんだろう、他人とどう交わって、どんな世界に包まれているんだろう。まるで恋でもしてるみたいに、その人のことを考え出したら止まらない。物語の登場人物はたいてい不器用で、むきだしに傷ついたり傷つけたり、とても人間臭くドラマティックに生きている。あぁ、もっと器用に生きたらいいのになんてバカなの、と泣きたいような笑いたいような、大好きだけど顔も見たくないみたいな、とても複雑な気持ちになってくる。どんなに些細な役でも、たった一言のセリフしかなくても、考えれば考えるほど愛おしい。

たとえフィクションの人間に対してでも、私の中に湧き上がるこの感情は嘘ではないと思う。そしてこの複雑な愛おしさを味わうことで、私の中のモヤモヤも掬い上げられるような気がしてくるのだ。

この感覚を、ぜひ多くの方に味わってもらいたい。
私が俳優として演じたいのは、お客様に複雑な感情を湧き上がらせるような人間だ。そういう人間との出逢いを疑似体験できるのが、劇場の醍醐味ではないだろうか。

ところで 山の手事情社の研修期間は、戯曲を読むことは少ない。耳を澄ませるのは、他でもない自分自身の内側だ。研修生は日々の稽古の中で、思いもよらずむきだしの自分と出会って戸惑い、逃げたり挑んだりしながら自分と向き合っていく最中だと思う。そんな彼女たちの人間臭く足掻く姿を、彼女たち自身にも、そして願わくばお客様にも、愛おしいと思ってもらえる瞬間があればいいなと思う。

名越未央

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