稽古場日誌

道成寺(モルドヴァ・ルーマニア公演)リポート 安田 雅弘 2013/06/19

「道成寺」キシノウ公演報告

モルドヴァ共和国の首都キシノウ。
2013年6月9日(日)19:10に開演。
劇場は国立ウジェーヌ・イヨネスコ劇場。
イヨネスコは「授業」や「禿の女歌手」など不条理演劇で有名な劇作家で、劇場に彼の名を冠することに生前本人が同意したという。イヨネスコはフランスで活躍したが、ルーマニア出身だ。
その劇場が「日本文化週間」と銘打って、複数の日本劇団やダンスカンパニーを招聘。
日程の関係だけなのだが、山の手事情社がその「週間」の最終日を飾る栄誉を担うことになった。
ロビーでは昼間、連日お茶やお花の講座が開かれ、若い女性がキモノを着て記念写真を撮っていたりする。
子供たちが集まって折り紙をしたり、日本の童謡を歌っている時もある。ちと、くすぐったい。

モルドヴァという国をボクは知らなかった。というか大半の日本人は知らないだろう。
どこそれ?
ルーマニアの北東に位置する内陸国です。かつてはルーマニアの一地方だったので、言語はルーマニア語。またソ連の一部だったこともあるのでロシア語もOK。英語は通じない。
地政学的に歴史は複雑で、ボクら日本人には想像しづらい。
「道成寺」の冒頭、水寄真弓演じるイオアナ(日本で上演した際はキャスリーヌ)が、聞いたか坊主たちに「お名乗り候へ」と問われてルーマニア語で「こんばんはイオアナです。私はモルドヴァ人です。」と答えるシーンがある。
稽古を見た芸術監督のペトル氏のアドバイスを受け、本番では以下のように変更。
「こんばんはイオアナです。私はモルドヴァ人です、すなわちルーマニア人です。」
これが驚嘆の声とともに大ウケする。オォォ、ワッハッハッハ。
モルドヴァの人々は、自分がモルドヴァ人であるという誇りを持ちにくいようだ。
このあたり、われわれにはわかりにくい。

400ほどある客席が満員になり、さらに立ち見客も客席の後ろにいて、熱い視線をおくっている。アイドルやスターではない。遠い国からやってきた、作品名も知らない劇団の公演。それなのに演技を食い入るように見ている。
芝居に飢えているのだ。こんな感覚は日本の客席では感じたことがない。
テレビはある。朝、芝居の宣伝も兼ねて地元テレビ局の情報ナマ番組に出演した。番組の雰囲気は西欧と変わらない。チャラい感じのあんちゃんたちが、テキトーな雰囲気で進めていた(実際はかなりぴりぴりしていましたけどね)。
以前にも書いたことがあるけれども、元ソ連圏の人々は基本的にマスメディアに懐疑的だ。検閲され、操作された情報だという不信感がぬぐいがたくある。じかに他の人々の体温が感じられる劇場で現在の政治や経済や生活感覚を、生きることの苦悩と喜びを、すなわち人生を確認する習慣がある。
この習慣が「演劇欲」というか「舞台欲」みたいなものを育てた。欠乏すると飢える。
レストランの席に座るように客席につく。
うまい料理をほおばるように、舞台を見る。
おいしければ、賞賛を惜しまなし、忘れない。
料理人冥利というか、演劇人冥利につきる。
ツアーの醍醐味である。

客席はスタートから盛り上がる。「聞いたか坊主」のちょっとした言葉のやりとりでウケている。
「道成寺」は日本でもかなり上演した作品だが、この場面でウケたことはなかったように思う。
郡虎彦の「清姫」のテキストを使ったシーンでは水を打ったように静まり返る。
わかってるなぁ。ただ笑いを求めているわけではないんだ。
途中の「今昔物語集」では、シーンの最後、清姫役の倉品淳子がゆっくり去る場面で、芝居が終わったかのような拍手が起こり、次のシーンへのつなぎ曲が聞こえなくなる。
男優たちが靴を使って、女性の振る舞いにため息をつく場面は、簡単なセリフで構成されているのでルーマニア語で演技。この場面は日本でもそこそこ笑いが起こるが、キシノウでは熱狂的な反応。ここは、なんばグランド花月か!
最後の黒い花吹雪が舞う場面では、拍手がうずまいた。
こちらが期待している反応を、客席が上回る。
こういう体験はめったにない。

終演後、客席にいると、何人ものお客さんから握手を求められ、話しかけられる。
「日本の芝居は何本か見たことあるけど、今回初めて日本人のユーモアがわかった気がするわ。」
「すごい動き。どんなトレーニングするの?」
「こんな芝居があるなら、日本に行きたい。」
「女優が脚を出してやるあの場面にはどんな意味があるの?」「あの脚は蛇のたとえなんです。『道成寺』は蛇の話なんで…」
「またキシノウに来てください。」「おそらくまた…」「おそらく? 絶対に来てください。」「…はい。」

安田雅弘

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