稽古場日誌

シビウ国際演劇祭。
2013年6月14日(金)、15日(土)。
会場はチズナディオラ要塞教会。
市内から車で15分ほど。
14世紀以降、たび重なるオスマン帝国の来襲に備えて、この地方では、村の人々が避難するための教会があちこちの山の上に築かれた。その遺跡がシビウ近くにも残っていて、上演会場の一つになっている。現在は教会としては使われていない。
以前、観客として何度か行った事があるが、芝居をするにはとても雰囲気のいい場所なに、せいぜい100人とキャパシティが小さいせいか、照明の電力不足のせいか、バトンがないせいか、歌や楽器の音楽関連の公演が多かった。
会場を決めるに当たって、もちろん今までやっていたメイン会場、国立ラドゥ・スタンカ劇場も考えたが、「道成寺」 → 山の上の鐘のないお寺 → 鐘のない元教会 → チズナディオラ と連想が膨らんだ。フェスティバル側も特別に2日間の公演を組んでくれた。
昨年11月、「女殺油地獄」の稽古でシビウに立ち寄った際、スタッフにお願いして下見させてもらった。
秋、枯葉舞い落ちる山道を登る。高さにして100mあるいはそれ以上か。10分弱。息が切れる。裏に車で行ける道でもあるのかと思ったが、ない。
水道もない。もちろんトイレもない。ふもとにペンションがあり、部屋をおさえるので、そこのトイレを使ってくれとのこと。トイレのたびに下山すんのかい?
電力は18kW。
客席は椅子を並べただけ、段差なし。
床はれんが、微妙にごつごつしている。俳優が足をひっかけそうだ。「道成寺」は裸足だし。

でも、ここでやろう。面白そうじゃん。
ということで、それなりの準備はした。
水は呑む分や、手を洗う分を人力で上げる。トイレは災害時の簡易トイレ持参。
あまり灯体を使わない照明プラン。
客席にも段差をつけよう。と日本から座布団を60席分を持ち込む。椅子席も段差を組めるよう平台をフェスティバル側に注文。

日が暮れないと暗転が効かないので、開演は21:00。
仕込みは、前の公演が終わってからなので、おおむね23:00過ぎ。
照明は暗転が効かないと作れないので、日の出までが勝負だ。
なので、公演前日の昼間、必要な荷物はともかく教会に上げてしまおう、ということになった。
9:00に集まって、トラックに荷物を載せ、教会のふもとへ。
美術はかなり簡易にしたつもりだったが、それでも全部手で運び上げるのはかなりきつい。1人3往復くらい。大汗。いやしかし、ここに道を拓き、教会を建てる労力に比べたら、何でもない。当時の人々を追いたてた恐怖の大きさが偲ばれる。
ところが、いい天気の中、ホイホイ荷物を上げている最中に大問題がぼっ発。

教会管理組合というような立場のオッサンが、ふもとで、英語でまくしたてている。
彼はドイツ系住民なのでルーマニア語ができない。ルーマニア語通訳の志賀さんもここでは間に入れず、互いにつたない英語で意思疎通をはかる。
この教会の建物は古い。キミらは天井の梁に何か釣るようだが、梁は水を吸って弱くなっているから折れるよ。そもそもフェスティバルには梁を使わないよう、注意したし、契約書も交わしている。
って言われても…。それでは鐘が釣れない。鐘がなければ、「道成寺」ではないだろう。こちらは10日も前に最終図面を送り、フェスティバル側からは何も言われてない。
フェスティバル側に連絡すると、確かに許可した。しかし管理組合側がダメだというなら、それ以降はあなたがたの判断だ、って何じゃそりゃ? でたよルーマニア。そんな論法なら何だって通るだろ。バカもたいがいにしてほしい。が、オッサンは一向に引く気配はない。水掛け論の果て、妥協案として、新しい梁を掛け、それに吊るならいいと言いだした。
で、その梁は誰が上げるの?
あんたがただよ。えーっ!
ふざけるな、帰る!
と、のどまで出かかったが、わずかでも望みがあれば、演劇人は公演実施考える哀しい生き物。
で、結局「自分たちで、梁から上げる」ことになる。
ボクと倉品はその日公演の「女殺油地獄」の稽古があり、途中退場。男優人とスタッフが残って重さ100キロ以上ある梁を上げた、らしい。その梁を上げるのに、折れるよと警告された元の梁を使った。もちろん折れなかった。途中、上で作業していた俳優が落下しかけた、と後で聞いた。「命綱をつけていたので助かりました」
洒落にならねえな、まったく。

その夜、教会のふもとのペンションに集合。小雨。
22:00に開始予定の仕込みが23:00になっても始められない。一体どうしたんだ? 観客の入場に手間取って開演が1時間押した、という情報。だらしなさすぎる!
皆疲れている。が、明日本番、今晩中に形にしないと…、という思いでじりじりと待つ。
ようやく公演が終了したという報が入り、山を降りてくる観客と入れ違えに教会に向かう。
教会ではバラシが始まっていたが、なりふり構わず、こちらの仕込みを開始。
椅子を重ねてスペースを空け、舞台面の設置が終わると、本さんが梁に登って鐘の釣り点づくり、下では鐘の組み立て、楽屋づくり、衣裳小道具の整理、照明用トラスの移動、照明電源・音響コードの引き回し…、総員土ぼこりの中、深夜の作業が続く。
いよいよ鐘を上げようという段にこぎつけたのが3:00くらい。
鐘はプラスチック段ボールと木材でかなり軽く作ったが、80キロほどある。
一旦上げたものの、重さを支えられるかどうか不安、という本さんの意見で、釣り点を変更するうちに、5:00。外は明るくなり、鳥がさえずり始める。こちらの焦燥とは裏腹に、何とも美しいおだやかな朝焼け。
「一旦休もう」
作業能率は落ちているし、これ以上の消耗は深刻なケガにつながりかねない。
ここまでよくやったよ。
本さんが数時間ぶりに梁から降りてくる。
からだが冷え、疲れた様子で、釣り点を変えても、このままじゃ安全を保証しきれないっスね、とつぶやく。
鐘を今のまま釣るか、釣るのをやめるか、少しホテルで休んで考えましょう、ということになる。

つづく

安田雅弘

※写真
上/チズナディオラ要塞教会での鐘釣り風景
中/大問題がぼっ発! 新しい梁をどうするか思案中
下/何とも美しいおだやかな朝焼け

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