稽古場日誌

ルーマニアの首都ブカレスト。
2013年6月19日(水)。19:05開演。
2日前の17日に、シビウからブカレストまで移動。バスで6時間。
モルドヴァの首都キシノウからシビウまでが、バスで12時間だったから、半分ね。
と高をくくっていたら、豈図らんや、移動バスがウチだけでなく、アカペラの団体、評論家の一行も乗せてブカレストに向かうという話になり、急遽美術を一部解体してバスの客席を空ける。満員状態。

乗り合いになったアカペラ団体というのは、15日に行なわれた「シビウ国際演劇祭20周年」を祝う表彰式で、式典に先立って、会場を盛り上げる曲を披露したグループだった。
この表彰式はルーマニア全土に生中継され、アカデミー賞かトニー賞か、というような派手な演出だった。ほとんどの出席者はビシッと正装でキメている。何台もあるカメラの映像が舞台、客席と次々に切りかえられ、舞台上の巨大モニターに映し出される。気の利いたことを言ってる風の司会者。
「道成寺」を見に来る予定だった俳優たちも手伝いに駆り出されたようで、「昨日急に呼び出しをくって…。見に行けなくて、すみません」と恐縮している。本番と時間が重なるので、表彰されると聞かされたボクも客入れ後、会場に駆けつけた。したがって「道成寺」2日目の本番は見ることができなかった。
そもそもシビウ国際演劇祭は表彰など行なうフェスティバルではない。今までも「キミらの芝居はとてもいい、今回一番といってもいいくらいだが、ウチは賞を与える演劇祭じゃないんで…」と言い訳のような、なぐさめのようなことを言われてきた。
それが今回、シビウに着いて、総監督キリアック氏に会うと、にやにやしながら「ヤスダ、サプライズがある」と、20周年記念の「特別功労賞」をいただける話になっていた。昨年までの4年間に「タイタス・アンドロニカス」「オイディプス王」「傾城反魂香」と3本上演し、高い評価を受けたこと。その評価がもとになって、昨年「女殺油地獄」を作ることになった。劇団が受賞した、と考えるのが自然だろう。
ちなみに、いただいた記念メダルは国立銀行発行とのこと。日本でいえば大蔵省造幣局製造ってこと? あんのかな、そんなこと。

ブカレストの劇場到着前に、アカペラグループがバスの中で一曲プレゼントしてくれた。ちょこっとしたキー調整ですぐに始まる。こういう手際と手軽さは音楽のうらやましいところだ。心地よい声がひろがると、暑苦しかったバスの中が、涼しく軽くなったような気がした。

ブカレストの劇場は「オデオン」。築100年超、天井開閉機構あり。一昨年「傾城反魂香」を上演した会場だ。宿舎は隣のホテル。忘れ物があってもすぐに取りに戻れる。シビウとは大違い。
翌日、劇場の総監督ドリナ・ラザル女史に挨拶。この方、現役の女優さんでもある。劇場の主として経営からレパートリー決定まで責任を持ち、しかも本人も出演する。こういう女優がヨーロッパにはいる。というより、いて不思議でない状況がある。
「このすばらしい劇場で、ふたたび公演できて幸せです」と伝えると、
「この歴史的な建物に手を入れたくないので、冷房機器は入れてないんですの」
待て待て。暑いぞブカレスト。さっき昼メシ行ったら、劇場前の温度計が37度と表示されていたじゃないか。
「今日より暑いと、もうお客さまもいらっしゃいませんから、「道成寺」を最後に、劇場は休暇に入りますわ」ってオイ!
確かに今回、いつもブカレストで公演する時期より1週間から10日遅くなっている。冷房がないことなど今まで気にならなかった。こんなに暑くはなかったってことか。
仕込みは暑さとの戦いになっている。シビウの山が、夜寒かっただけに、そのギャップに苦しむ。劇場空間が魅力的なのが救いだ。

演技位置の調整。単純に客席から見えるか、見やすいか、それだけなのだが、オデオン劇場は、2階横にボックス席があり、3階も真横からの席がある。1階席は舞台より低いし、傾斜もそれほどついていない。つまり、さまざまな距離や角度から演技が見られるようになっていて、それが調整に手間取る原因であると同時に、この劇場の魅力でもある。
数年前、香川県にある重要文化財「金丸座」という歌舞伎小屋で市民劇の演出をしたが、その時にも同じようなゾクゾクする感覚をおぼえた。観客の視線が複雑に交錯していると劇場空間は魅力的になるのかもしれない。
「ここからは見えます」「こっちは全然見えません」とあちこちの客席から声をかけてもらい、ようやく位置を決め、やれやれと思っていると、今度は「それだと字幕が見えません」。声の場所に移動すると、確かに。で、字幕を2か所から出すことに変更。
こうした調整はいつものことではあるが、今回は劇場のサイズやタイプが、都市ごとにかなり異なって時間を食う。ま、演出家にとっては何よりの勉強なんですけどね。

案の定、本番も暑さとの戦いになった。19:00とは言え、外はピーカンに晴れて明るい。夕方という気配さえない。昼間だ。
客席のあちこちで、ぱたぱたと煽いでいるのが見える。モソモソ動くのも仕方があるまい。幸いお客さんの集中は途切れることなく、皆さんのスタンディング・オベーションで終演を迎えることがでた。ロビーでは「よかったわ」「来年も来てね」「日本の物語はすばらしい」「成功おめでとう」と、ありがたいお言葉をいただいた。

それにしても、今回のツアー、何か釈然としない。稽古不足が原因ではない。準備が不十分だったことでもない。想定外のできごとに翻弄されたことでも、暑さや寒さでもない。そういった不満はどの公演でも感じることだ。
そうではなく、
「日本人はもっと日本の物語を他文化圏に発信しなけりゃいかんな、どうも」
ということを、かなりどっしりと感じた。
他の文化圏に発信するも何も、まずは私たち日本人が日本の作品(何も能楽・文楽・歌舞伎に限らず、近現代のものも含めてね)にもう少し知識や観劇体験を持たないと、日本の演劇レベル、ひいては文化レベルは、これ以上どうにもならんだろうな。世界に発信する前段階が圧倒的になっちゃないや、ということなのだ。
別に演劇レベルなぞ今のままでいいじゃん。という考え方もあろう。今のところ大半の人はそうとらえているに違いない。しかし、それは日本の未来にとって、私たちの子孫にとって、あまりよろしくないことになる、という悪い予感をボクは笑い飛ばすことができない。
客席の一番うしろで「道成寺」を見ながら、そんなことに思いを馳せていた。

安田雅弘

※写真
上/アカペラグループがバスの中で一曲プレゼントしてくれた。
中/オデオン劇場は、2階横にボックス席があり、3階も真横からの席がある。築100年超、天井開閉機構ありの魅力的な劇場。しかし、冷房機器がない事を今年知る。
下/オデオン劇場の正面玄関。

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