稽古場日誌

馬込文士村 空想演劇祭 越谷 真美 2022/12/01

勝手に書いて行く私5 ~尾崎士郎その1~

『馬込文士村 空想演劇祭2022』で上映予定の『千代と青児』は、宇野千代原作の小説「その家」をモチーフにして、宇野千代と画家の東郷青児との出会いと恋愛を描いた短編作品です。

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晩年、千代は断言しています。
一番好きだったのは、尾﨑士郎だったと。

彼との出会いは有名です。

中央公論社で紹介されたその日に、彼が宿泊する宿で飲み、意気投合して、そのまま札幌には帰らず夫を捨てて一緒になったというエピソード。

実は、時系列にちょっと難があります。

千代が思い切って札幌からひとり上京し中央公論社で366円(現在で約150万円!)という思いがけない高額の原稿料を手にしたのは、1922(大正11)年の4月12日だったと『生きて行く私』に書いています。

そのあと二日間ほど故郷岩国に帰り、北海道に戻る道中東京で電車を待っている間にもう一度中央公論社に挨拶に出向いたとき、尾﨑士郎がそこにいて紹介された、というのですが……

尾﨑は1922(大正11)年3月~5月まで上海に滞在していたので、実はこのタイミングで出会うことはなかったはずなのです!
恐らく千代は4月以降も中央公論社に何度か出向いていて、実際に尾﨑を紹介されたのは1922(大正11)年12月末のことだったろうと言われています。

そう、上京したその日のうちに尾﨑と駆け落ちしたというのは、ちょっと話が盛られています。

作家として自分の可能性に自信を持ち始め、北海道での結婚生活はこのままでいいんだろうか。そんなことを考えていたであろうタイミングの出会いだったのです。

しかし、出会った後のふたりは確かにドラマチック。

尾﨑が滞在していた本郷の菊富士ホテルにしばらく籠ったあと、「大森海岸」の宿屋、「臼田坂」の坂下の下宿屋、「山王」の森の中の家や「大森・蒲田の間にある線路脇」の家などを転々とし、都新聞(いまの東京新聞)の上泉というひとに世話をしてもらって、馬込村の大根畑のなかに家を建てて住むようになります。

当時はまだ「姦通罪」がありましたので、既婚者だった千代と尾﨑士郎のとった行動は下手したら牢屋に入れられかねないものでした。
ふたりの関係が罪に問われずに済んだのは、1923(大正13)年9月1日に関東大震災が起きて世間の目があまり向かなくなったのも大きかったと思われます。

1924(大正14)年4月に千代は藤村と離婚が成立し、1926(大正15)年2月に尾﨑士郎と結婚。

千代は尾崎士郎にぞっこんでした。

千代より1歳年下で、作家としてはじめは千代の方が人気で知名度は高かったそうですが、尾﨑の人懐っこい人柄、着る服、酒を飲んで歌う歌声、少し吃る話し方にいちいち見惚れて、「尾﨑の好きである、と思うことは、私は何でも」しました。

つづく

※文章はあくまで個人としての意見です

越谷真美

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OTA アート・プロジェクト
馬込文士村 空想演劇祭2022 作品上映&[同時収録]生ライブ

日時=2022年12月17日(土) 11:00開演/15:00開演
会場=大田文化の森 多目的室

【チケット購入】
https://yyk1.ka-ruku.com/ota-s/showList

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