稽古場日誌
かもめ ルーマニアツアー 倉品 淳子 2023/06/16
安田氏の演出意図は初演の時から、「生きた人間」と「剥製」の物語でした。と、いわれても、よくわかんないですよね。
私は「夢」と「現実」の話じゃないかと思っています。
若い頃の私には、キラキラ輝いた将来の夢がありました。
それは「日々新しい演劇に出会いながら、演劇を生業とすること」。
今、私は若かったころの夢を叶えています。ところが、これが全然キラキラしていない。地味で、着実で、嫌なことや面倒なことがたくさんあります。
世の中に若い頃のキラキラした夢を叶えて、実際にキラキラしている人なんているのかしら?
どんなに周りがうらやましいと思っている人でも、いわゆる「映える」生活をしている人でも、現実には、それなりの悩みや苦しみがあると思います。間違いなく全員が、「映えない」現実を抱えているのじゃないかしら。
私が若い頃の話です。
友人同士で、地方の演劇フェスティバルに行った帰りの電車に、べろべろに酔っぱらった女の人が乗っていました。座席にぐったりと座っていて、酒臭さが少し距離がある私にもわかるほどでした。しかし、よく見るとその方は、昨夜の公演の主演女優です。
その車両には私たちしかいませんでした。それで、私たちはつい話しかけてしまいました。
「昨日のお芝居見ました。とても素敵でした」と。その女優さんは、まだまだお酒が抜けきらない様子でしたが、私たちに声をかけられて困る様子もなく、親しく話をしてくれました。私はお芝居の感想を熱く語り、舞台上での彼女のぬけるように白い肌がとても美しかったことを伝えました。
すると彼女は、「あれはね、全身おしろいで塗ってるのよ」と平然と言い、唖然とする私たちに「夢を見せなくちゃね、夢を」と言いました。
私は心底かっこいい! と思いました。こんな風に生きたいと思いました。私の目には、彼女はキラキラ輝いてみえました。
ニーナのセリフにこういう一節があります。
「作家とか女優とか、そんな幸福な身分になれるものなら、屋根うら住まいをして、黒パンばかりかじって、自分への不満だの、未熟さの意識に悩んだってかまわない。その代わり、わたしは要求するの、われかえるような名声を」
実はキラキラを追い求める人たち自身が、世界で唯一キラキラしているのじゃないかしら? 「夢」に向かって動いている人はキラキラして見えます。うらやましいと思いつつ、いつの日か、彼らもこのもやもやした「現実」にたどり着くのではないかと思います。
それが、「剥製」から見た「生きた人間」なのではないかしら?
全然、違うかもしれませんね。けれど、演劇制作は考え続けることでしかないと思っていますので、考えを進めていきます。きっと変わるでしょう。
大変久しぶりのルーマニア。
若い頃の私が、今の私を見たらどう思うでしょう?? 海外公演でルーマニアの舞台に立つ俳優は、キラキラ中のキラキラでしょう。今、私は、ルーマニアで公演できる幸せを噛みしめるどころか、何年振りかの海外に少し当惑気味です。でも、この現実は幸せに違いないのです。
倉品淳子
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