稽古場日誌

稽古場 松永 明子 2023/10/25

大人になれば

子どもの頃、ロンドンで暮らしていた。現地の学校に通って、様々な人種の子ども達とともに学び、遊び、育った。穏やかな子ども時代だった。日本にもどる時、いつか自分はロンドンに帰るのだと信じていた。

日本に帰国して間もなくの頃、ロンドンで仲良くしていたイギリス人の女の子から、東京の自宅に手紙が届いた。「あなたがいなくて寂しいよ。」という温かい手紙だったらしい。らしい、というのは母が読んで聞かせてくれたからだ。その頃のわたしには英文が読めなくなっていたのだ。かつての友人が自分を思い出してくれたのだ、という嬉しさと、帰ることのできない寂しさで、どう返事をしたら良いか分からず、結局返事は出せなかった。

ロンドンにいつか帰るのだ。きっと、帰るのだ……と想いは募っていった。

しかしながらロンドンで再び暮らすことはなかった。子どもの頃、お世話になった人びとや友人達がどこにいるかも分からなくなった。当時のわたしを知っている人達はどこかへ行ってしまった。

その後、わたしは演劇を始めた。演劇で自分を表現することが楽しかった。いつしか演劇で世界中を旅したいと考えるようになった。世界中のあらゆる場所で友人ができたらいいと願った。自分がつくる作品で友人達を喜ばせたかったのだ。

今年の夏のこと。シビウ国際演劇祭を視察するため、数年ぶりに日本を出た。日本で過ごした年月が、ロンドンでの年月をとうに超えていた。知らない土地で、慣れない英語で旅をするのは少し不安だった。けれど旅での出会いの数々は胸をときめかせた。日本とは違う風景、さまざまな髪色肌色の人びと、初めて目にするパフォーマンス……

印象的な出会いもあった。アイルランドでホームステイしている日本人女性と知り合った。彼女は各国の演劇祭を見て回っていると話す。わたしが日本の舞台俳優と知ると、「いつか舞台を観に行きます。」と言ってくれた。

ああ、そうか。大人になった今では、どこで出会ってもその気になれば、どこでだって再び会えるのだ。子どもの頃の自分が笑っているような気がした。

松永明子     

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