稽古場日誌

稽古場 渡辺可奈子 2023/12/27

隣の芝生はいつまでたっても青い。 

私は所謂、蠍座の女です。
嫉妬の塊のような人間だと常々思います。
この感情は誰にでも、どんな分野でも発動する訳ではありません。特に執着している事だけには、自分で自分の気持ちが分からなくなり、抑えきれなくなります。

嫉妬というものは諸説ありますが七つの大罪の中でも最も罪が重いものとされています。それが悍ましく、醜い行いだと頭で分かっていても昨日まで仲が良かった人のことが憎くて憎くて堪らなくなってしまったりするのです。
誰がどの役に配役されただとか、誰々はこんな仕事を任されているとか、そういうことについ敏感になり、私は信用されていないから任されなかったのだ、きっとあいつは上手く先輩に付け込んだに違いない、きっと顔がいいから、人柄がいいから……。と自分を卑下し、他人の努力を認めず、心の中で相手を攻撃して、納得しないまま時が過ぎていくのです。
じゃあ、他の人の真似をしてみたらいいじゃないか。と、人の目を気にしながら自分の身の丈に合わない努力をしては上手くいく訳もなく、ただただ自分が嫌いになっていくのです。

ある時、執着し無理に頑張ろうとするから苦しいのだ。と結論付け、必死になる事を放棄しました。執着心を捨ててみると、心が軽くなり、何となく社会でうまく生きていけているような、未来への心配もないような、私は私のままで良いのだと思いながら、ごくごく普通の生活が送れているような、そんな気分になりました。
それから一週間がたち、一ヶ月がたち、三ヶ月がたった頃、突然私はいったい何のために生きているのだろうと、どんどん視界が狭くなっていくような感覚に襲われました。自分が一体何者なのか分からなくなってしまったのです。人一倍に嫉妬心と執着心が強い人間が、何となくで生きていける訳がないのです。私は自分自身の醜さと向き合い戦うことを放棄する事で優れているもの、美しいものからも目を逸らし、向上することを止めてしまっていたのだと気が付きました。

今でも言葉に出そうとすると張り裂けそうな想いになりますが、この際はっきり言ってしまうと、この発作のように噴き上がろうとしてくる衝動は、自らの弱さと相手に対する圧倒的な憧れから発生するものであり、私の創作活動の為のエネルギーの源だったのかもしれません。
この感情との折り合いは今でも付いていないし、コントロールもできません。嫉妬する感情と他者を認める為の理屈で頭と心がぐちゃぐちゃになりながら、時に家に帰って発狂しながら、外ではなんでもないフリをして生きています。(なんでもないフリができていない時も多分ある。)

何故こんなにも隣の芝生は青いのでしょうか。もっと言うと、隣の芝生が枯れていたとしても私には美しく見えてしまうのです。しかし、そもそも私は自分の芝生にしっかり目を向けたことがあっただろうか? 私自身が変わらない限りそれは一生変わらない事なのかもしれない。この醜い感情との決着を付けるためにも、しばらくは自分の芝生に少し集中する努力をしてみようと思います。

渡辺可奈子

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