稽古場日誌

オセロー/マクベス 長谷川 尚美 2025/01/14

玉座の代償

『マクベス』の稽古を通じて、「王になる」ということ、「王の役割を担う」ということ、「王で居続ける」ということについて考えさせられます。

シェイクスピアの描くマクベスは、魔女の予言に煽られ、王になるという野心を燃え上がらせます。しかし手にした王冠がもたらしたのは満足や安心ではなく、終わりのない恐怖でした。ただでさえ王権を維持するのは困難だというのに、友人バンクォーの子孫がその王位を継ぐという魔女の予言が心から離れず、マクベスは王となった後、疑心暗鬼に陥り、自らの恐れに支配されていきます。

マクベスは、11世紀に実在したスコットランド王です。この裏切りと恐怖の構図は、歴史上のマクベスにも、また他の王たちにも通じるものです。様々な国でも同様のことが起きるのでしょう。私はよく韓国の時代劇を見るのですが、そこで描かれる王への道、勢力争い、跡継ぎ問題なども、「よく似ている!」と思うものばかりです。

まず、玉座につくまでに、どの派閥や貴族の支持を得るかが重要です。そして王になった後は、家臣たちの勢力争いや力の均衡に気を配り、婚姻や後継者について、さらには反乱や暗殺の危険とも常に向き合わなければなりません。その上、周辺国からの介入や、戦争や同盟の駆け引きにも対処する必要があります。……そう、王様には、個人レベルの自由がないのです。

「すべてを手にしたように感じるけれど、本当は何も手に入れていない」という王の哀しい台詞がありましたが、まさにそんな状態です。

そもそも、なぜ人は玉座を目指すのでしょうか。そこに「権力」があるからでしょうか、「名誉」への憧れでしょうか。それとも、なってみないとわからないけれど、いざなってみたら「どえらかった」ということでしょうか。いずれにせよ、自分の理想の国づくりや果たしたい夢がなければ、とても耐えられるものではないでしょう。そうでなければ、やってられません。王であることの対価として、「個人」の自由を差し出すのです。

歴史上のマクベスは、王になった後、反対勢力や王位継承の可能性を持つ者たちを次々に排除して権力を固め、最終的に戦死するまで17年もの統治をしました。その間、どのような国づくりを目指したのでしょうか。実際は善政を行った名君だったという説もありますが、シェイクスピアの『マクベス』にはそれは描かれていません。手にした玉座を守るためにさらに多くの犠牲を払い続け、暴君となり、恐怖におびえながら生きるマクベスの姿が印象的です。

やはり「玉座の代償」はあまりにも大きい。

まさに、生命の樹のセフィロト「王冠」です。
生命の樹は人間の精神や宇宙の構造を階層的に表した図ですが、輪の頂点に書かれる「王冠」は、そこに立つものの権力や責任と同時に、孤独と転落の恐怖も表しています。マクベスはこの「王冠」にたどり着くのです。
生命も運命もそうしてぐるぐると回っていきます。人は各セフィロトをたどりながら、喜びや苦しみ、成功や挫折を経験しながら生きていきます。やはり『マクベス』はとても普遍的な作品だと感じます。

女性7名で挑む今回の舞台で、その本質に少しでも迫れるように、稽古を重ねたいと思います。

長谷川尚美

稽古場日誌玉座s

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劇団 山の手事情社 二本立て公演
『オセロー』『マクベス』
日時=2025年2月21日(金)~25日(火)
会場=シアター風姿花伝

詳細は こちら をご覧ください。

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