稽古場日誌

オセロー/マクベス 渡辺可奈子 2025/01/28

名誉な死とは

「どう死にたいか」
最近、そんなことをよく考える。
老衰で死ぬか、友人を庇って死ぬか、愛する人の胸の中で死ぬか……。
生まれ方はどうしても選べないが、死に方は選べる可能性が高い。人生の幕引きをどう飾るかということに思いを馳せている。

2年前に祖父が亡くなった。普通のサラリーマンだった祖父は、ボーイスカウトの団員長をしていたり、定年後は保護司や小学校のスクールガードをしていたりと、地域のボランティア活動に熱心な人だった。座右の銘は「継続は力なり」。毎日かかさず日記を書いていた。

お葬式は大々的には行わず、家族葬で慎ましやかに行われる予定だった。しかし、ちらほらと「顔を見せてほしい」「最後に挨拶をしたい」という方が式場に訪れる。遂には市長も現れて、家族全員がソワソワした。

「廣田さん(祖父)には青少年の育成にご尽力いただいて……」

祖父がその方面に熱心であったことは知っていたが、市長が足を運ぶほどだったことに驚かされた。そして、その時初めて祖父の行ってきた事の尊さや偉大さを知った。私が見る限りでは決して派手では無かった祖父の人生だが、家族に囲まれ、多くの人に感謝され、会いたいと言う人々が集まった葬儀は、確かに祖父の人生の集大成だった。人々に愛され、信頼された生き様が、彼の死を名誉あるものにしたのだ。

どう生きて、どう死ぬか。何を残すか。祖父の死を通して、名誉というものは決して派手なものばかりではない、ということを教えられたような気がした。

とはいえ、残念ながら私はまだまだ野心満々である。今回私が出演する『マクベス』でも、主人公のマクベスは玉座という魔性に取り憑かれて、自らの野心で身を滅ぼし殺される。登場人物たちは次々に死を迎えるが、その中でマクベスは、「武人にふさわしく盛大に討ち死にしてやろう」と言ってその生涯を終える。最高にかっこいいセリフだ。

やはり死ぬときくらいはかっこよく華々しく死にたいと憧れてしまう。しかしそれを実現するには凄まじい孤独と狂気を抱える覚悟が必要になる。祖父が歩んだ静かで穏やかな道とは正反対だ。

マクベスの最期は悲惨かもしれないが、せめて最後の瞬間だけでも華々しく散ることで、「かっこいい生き様だった」と思わせたいという執念が見える。彼の死は名誉ではなくとも、彼なりの一つの生き方の美学なのだ。

祖父とは正反対のマクベスの生き様。しかしどちらも最期をどう迎えるかという問いに対する答えの一つなのだろう。

今これを書きながら恐ろしいジレンマに襲われている。なんで人間は一回しか死ねないのか。限られた命の中で、どんな最期を迎えられるのか……。私の死に方への妄想はこれからも膨らんでいくばかりである。

渡辺可奈子

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劇団 山の手事情社 二本立て公演
『オセロー』『マクベス』
日時=2025年2月21日(金)~25日(火)
会場=シアター風姿花伝

詳細は こちら をご覧ください。

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