稽古場日誌


世の中には、いろんな肩書きがある。
教師です。医者です。画家です。社長です。歌手です。
旦那です。妻です。
子供を授かればその日から、父です。母です。
誰しも何者かであり、そうだと名乗るのではないだろうか。
ちなみに私は、劇団 山の手事情社の劇団員である。
最近、急にそうではなくなった時のことをよく想像する。
「今度の舞台、楽しみにしてるよ」
「どんな役をやるの」
「このあとは、お稽古があるんですね、頑張ってください」
そんなことを言ってくれる人がいなくなるのである。
果たして、何者だと名乗って生きていくのだろうか。そして何者だと思われながら生きていくのだろうか。
六条御息所[ろくじょうのみやすどころ]は、元々は東宮の妃で、高い身分の貴婦人であった。後に夫を失い未亡人となり、やがては光源氏と愛人関係になる。彼女の人生は肩書きがさまざまに変化し、自分が何者なのか非常に不安定なのである。それを自身で自覚しているはずだが、彼女は決して取り乱さない。
しかし、賀茂祭りの車争いによって、かろうじて保っていた彼女の誇りはついに牛車とともに音を立てて崩壊する。
「身の浮きほどぞいとど知らるる」
――いよいよ不安定な身の上を思い知らされた
さらには、心の頼りである光源氏の心もしだいに遠のいていく。
肩書きがない。何者とも言えない。
私にはどうしても、明日は我が身だと思えてならない。いつ、どのようにして、社会的な位置や心の拠り所が失われるかは誰にもわからないことだ。恐ろしいが、正直味わってみたくもある。
もっと、人の心の崩壊の真に迫りたい。
ありえないものを舞台にのせたい。
その思いを胸に、稽古に向かう。
私は、劇団 山の手事情社の劇団員です。
喜多京香
**********
劇団 山の手事情社 公演『葵上』
日程=2026年3月3日(火)~8日(日)
会場=小劇場B1
詳細は こちら をご覧ください。