稽古場日誌
修了公演で扱う戯曲「ヴォイツェク」には不思議な魅力がある。
場面配列も定まっていない”未完成”な状態でありながら、読者を混乱させる深くて強いエネルギーを持っている。
19世紀前半に原作者ビューヒナーは二十歳そこそこで(僕とほぼ同じ歳!)書いたこの戯曲は、実際の事件を基にしている。
精神異常者が浮気した情婦を殺害する、このように戯曲を要約することは簡単だ。
しかしそれだけでは浅い。「ヴォイツェク」の世界は現実的で、貧困があり不公正な格差がある。
その一方で宗教的で、神話や聖書のように奇天烈なイメージが散りばめられている。
人間の深いところの、混沌としていて判断の難しい部分でのたうちまわっている。
現実と幻想、理性と狂気、善と悪、人間と動物といったイメージの境界線を揺らす。
テキストを扱う部分以外にも、稽古では「ヴォイツェク」の世界観とどのような可能性がありうるか色々と試している。
稽古を通して思うのは、人間の境界線が揺れるような瞬間はとても面白い。ただそんな瞬間はなかなか訪れない。
頭でいくら考えてもダメで、トライを続ける。登場人物たちは強いコンプレックスをさらけ出していて、とても強力な相手。
とても真人間ではいられない。深い、深い根源的なところまでどれだけ潜れるか。
穂坂拓杜